●﹁喜連川騒動﹂の削除依頼ノートの記述を見て、﹁おせっかい﹂かもしれませんが、ひとこと私なりの見解をしてみます。まず、新聞記事についてですが、毎日発刊されるもので、一般家庭では、基本的には長く保管されないものです。当然、発刊した新聞社には保管されます。しかし、毎日発刊するものですから、その量は膨大なものになるもです。そこで、新聞社での保管年数は、新聞社により多少の違いはありますが、過去18年分が目安となります。ですから、いずれはその記録さえなくなってすまうのです。一方、地方自治体の発刊する﹁町史﹂は、何十年に一度の発刊ですので、日本国では﹁古文書﹂と同じ扱いで、日本国として永久保存の対象となり、永久に検証可能な文献となります。ですから、いかに一流の新聞社の記事であろうと﹁新聞記事﹂は、検証可能な文献として、適切でないのです。ですから、ご記述のあった過去の﹁投票﹂の件は、気にすることはないかと存じます。よけいなおせっかい、ですが、お留置いただければ幸いです。--喜連川一色家 2007年5月21日 (月) 21:42 (UTC)返信
現代の出来事を語る場合には一次資料︵同時代資料︶としての新聞が不可欠ですから、新聞記事が﹁検証可能な文献として、適切でない﹂と言い切ってしまうのは無理だと思います。また﹁過去18年分が目安﹂というのも私の知る限り事実に反すると思います︵例えば朝日新聞では昭和元年からの全紙面データベースを構築中とのことですし[1]、他の新聞社でも同様のプロジェクトがあるはずだと思います︶。--Dwy 2007年5月22日 (火) 03:15 (UTC)返信
●確認しました。どうやら、私の知識は1~2年古いものだったようです。本当に、よけいなおせっかいに、なってしまったようで、大変失礼しました。技術は、日々進んでいることを見逃していたことを、逆に指摘していただいたようで、恥ずかしい気持ちもありますが、感謝の気持ちでいっぱいです。しかし、Deyさんの問題は、国際問題もからんでいるようで難しい案件だったのですね。私からは、なんとも言えなくなってしまいました。ただ、Deyさんのコメントより、誠実なお人柄が感じられたので、私なりの﹁おせっかい﹂となってしまったことを悪しからずご判断いただければ幸いです。--喜連川一色家 2007年5月22日 (火) 06:25 (UTC)返信
Wikipedia:井戸端#﹁Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成﹂についてのお話ですが…。
Viajeroさんの発言にあるI noticed you Wikified some dates. According to the page Wikipedia:Make_only_links_relevant_to_the_context the only dates that need to be linked are birth and death and anything REAL big in between.は﹁いくつかの日付をWikifyしたことをお知らせします。Wikipedia:Make_only_links_relevant_to_the_contextのページによりますとリンクする必要のある日付とは誕生日と死亡日及びその間の本当に重要な何か(anything REAL big)だけです。﹂と訳されると思います。当時のWikipedia:Make_only~に、生存中の事案に限定するという意図があったかどうかはさておき、単純にbigという単語の用いられ方として、ここでもこのbigは誕生日と死亡日のことを指しているのではなさそうです。もう英語版には存在しない記述ですのであまり追求してもしょうがないと思いますが…。--Uiweo 2007年6月18日 (月) 23:45 (UTC)返信
Michael Friedrich氏の希望により、2番目の選択肢﹁どんな書き方であっても不要﹂が、﹁どんな書き方であっても、書いてはならないに変更されました。お手数ですがこれによって意見の変更、ないし票の撤回等がありましたら、投票場所にてその旨を記していただきますようお願いします。このメッセージは変更前に投票いただいたすべての方にお送りしています。--Metronome 2007年7月10日 (火) 10:49 (UTC)返信
はじめまして、IPユーザですいませんが、ノート:独自研究は載せないにおける標題の議論についてどうしてもコメントしたく、お邪魔しました。論文執筆の合間に︵笑︶つい読み込んでしまったのですが、端的に言って、Dwyさんが提示された問題点が他の編集者に理解されなかったのは非常に残念だと思いました。リアルタイムで見ていれば、援護射撃もできたかもしれないのに、、、と。
貴見のとおり、この﹁特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成﹂が禁止されるのは、本来、︵議論自体は論理的に正だとしても︶﹁︵Wikipediaの定義における︶信頼できる情報の裏付けがない﹂という点によるものであり、論理的に正であり、かつ、裏付けがとれる場合には、特定の観点を推進するとしても記述して差し支えないはずです。
他方、ゴンリやガガガガーの例は﹁意図的な︵あるいは無意識的な︶論理的誤り﹂を指摘するものになってしまっています。この場合、導き出された結論はそもそも論理的に誤っているため、裏付けの有無を論ずる以前に修正されなければいけないわけで、個人的にはそもそも﹁独自研究﹂に該当するかすら微妙だと考えます。
この点を指摘され、﹁論理的には正であるが、信頼できる情報の裏付けに欠けるために記述すべきではない﹂合成の例を加えるべきとのご意見は全く正鵠を射ています。論理学の表現形式に不慣れと見える編集者がいたこと︵三段論法における大前提・小前提の真偽を問題にする︶による議論の混乱が非常に残念です。また、﹁特定の観点を推進する﹂意見であっても、裏付けがとれるのであれば記述対象となりうるはずで、その点について編集者間で理解の相違があったのは、ある意味では面白い現象でした。
ところで、この議論では副次的な扱いとなってしまいましたが、﹁単純な論理的演繹﹂との境界線をどこにひくのか、というのは非常に大きな問題だと思います。Wikiの一利用者としても、﹁要出典﹂タグがどのような基準で貼られているのか常日頃からの疑問であり、検証可能性に関わってくるこの点こそが、むしろ﹁情報の合成﹂に関する一番重要な点なのではないかと思われるのですが、現状の例では、﹁論理の誤謬﹂に対して﹁要出典﹂を付する結果すら招きかねませんよね。理想的には、まさに貴兄が指摘されたように、︵正しい︶合成によって得られた結論が論争的であるか否かによって、出典の提示の必要性が決定されるべきなのでしょうが・・・。
そういう意味で、
・合成時の論理的誤り︵例‥ゴンリやガガガガー︶→独自研究とは無関係だが、︵ノートでの議論を経た上で︶当然修正されるべき。
・論理的に正しく、論争的でない結論︵例‥︵1︶人を殺した者は全て殺人者である、︵2︶Aは人を殺した、︵3︶したがってAは殺人者である︶→出典無しで記載可
・論理的に正しいが、論争的な結論︵例‥スピード違反の事例等︶‥→記述を維持したい場合、当該部分の編集者は結論を裏付ける出典を探す義務を負う
という類型を示すことは非常に意義深いことだと思います。この場合、﹁論争的﹂かどうかは編集者の主観によるところが大きく、一義的に定義できないことも明記すべきなのでしょう。たとえば、第二類型の例は一般的に共有されている観念だと思うのですが、場合によって論争的な結論になりうる気もします・・・
余談ですが、﹁シカゴ・マニュアル﹂の例は不適当に見えますね。そもそも論理的推論の形になっていませんし。まぁそのために現在の版からはオミットされているのでしょうが。
長々と申し訳ありません。特にDwyさんの反応を期待する趣旨ではなく、ご議論が私自身の問題意識にハマった感があったので思わず書きこんでしまいました。ご容赦下さい。
84.103.47.253 2010年4月2日 (金) 08:35 (UTC)返信
[3]にて、ポルノ俳優についての特筆性についての草案が、そろそろ議決前という感じになっています。草案に作成に対してのコメントを募集しています。以前同様の議案に対してコメントを残されていたようですが、本件についてもご意見をいただくことはできないでしょうか?よろしくお願いいたします。--メルビル 2011年4月1日 (金) 18:26 (UTC)返信
こんにちは。お世話になっております。この版[4]のご投稿について。もともとgestgestさんにより﹁国公立大学や国立研の職員等が論文捏造をおこなえば偽造文書作成罪等に該当する﹂という投稿が行われたところから[5]今般の編集騒動は始まったわけでして、さすがにちょっとそれはアヤシイのではないか、と大和屋敷が要出典を塗布[6]したところ、gestgestさんが出典を示さないまま糊塗編集されましたので[7]、いったんリバートし[8]、大和屋敷がgoogle検索をおこない平田容章2006-10-27を発見し、これを元に投稿した[9]ところ﹁参考文献の著者は明らかに法律がわかっていないので文献は参考にならない﹂[10]等々として騒動が拡大したわけです︵履歴[11])。この版[12]のご投稿は上記の経緯をふまえずあからさまに大和屋敷の発言の論理展開や弁論手法を批判した状態になっておりますので撤回いただかないと困ります。宜しくご検討下さいますようお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年6月11日 (土) 03:14 (UTC)なお、今般の編集で大和屋敷がもっとも重要だと考えている内容は﹁日本の法令上、実験データの捏造や改ざんについては、行為そのものを直接禁止し、違反したものを罰する具体的な規定を含む法令は無い。﹂という一文です。他の点につきましてはご指摘を受け適宜修正され適切なものになっているのではないかと考えております。--大和屋敷 2011年6月11日 (土) 03:20 (UTC)返信
●刑法第156条の虚偽公文書作成罪︵偽造文書作成罪ではありません︶がある以上、﹁捏造や改竄それ自体は、単体では法的に犯罪行為とはされていない﹂とか﹁日本の法令上、実験データの捏造や改ざんについては、行為そのものを直接禁止し、違反したものを罰する具体的な規定を含む法令は無い﹂という記述の妥当性は、非常に怪しいと言わざるを得ません。
●Gestgestさんが﹁捏造や改竄は、国公立大学や国立研究所の職員が行った場合は犯罪となる︵可能性がある︶﹂という記述を追加された際には、記述の中で引用された法律の規定・条文そのものが根拠︵=出典︶になると考えておられたのではないかと思います。私としてはそういうやり方が良いとは決して思いませんが、少なくとも﹁糊塗﹂のようなレッテルを貼られたり、いきなりコメント依頼をされたりしなければならないほどの、とんでもない間違いではないと思っています。
●2011年6月7日の時点では、Gestgestさんは上記記述の追加を断念されており、不適切と思われる記述の除去だけを行っておられます。私としては、Gestgestさんの2011年6月7日(火)12:54からの版の編集について特に問題を認めません。
●私には、大和屋敷さんが指摘されている﹁経緯﹂の問題点がよくわかりません。また、6月7日以前の﹁経緯﹂は、﹁2011年6月7日(火)12:54からの版について﹂の節における私の発言にはあまり関係ないだろうと思います。したがって、残念ながら、私には発言を撤回しなければならない理由が見つけられません。あしからずご了承ください。--Dwy 2011年6月11日 (土) 16:27 (UTC)返信
私個人の行動だけを見れば不充分だった点もあるかもしれませんが、コミュニティ全体としては、過去の議論を尊重した議論になっていたと思います。
●Dwyは、Wikipedia:井戸端/subj/﹁ノート:南京事件 (1937年)﹂他のローカルルールについてで問題提起を行う前に、各記事のノート︵過去ログ︶を含むをチェックした上で、ローカルルール導入の経緯について﹁おそらく当初は荒らし対策として合意されたルールなのだと思います﹂という見解を示しています。︵過去の議論の中にローカルルールの導入経緯を明確に示すものが見つかっていれば、その議論をリンクして皆さんに情報提供していたはずですが、あいにくそれらしい議論が見当たりませんでしたので、私なりの見解︵推測︶を提示しました︶
●問題提起の直接のきっかけとなったノート:南京事件 (1937年)の議論については、最初の問題提起の中で言及︵リンク︶し、議論に参加される皆さんが参照できるようにしました。
●井戸端での議論の中で、Ks aka 98さんからローカルルールの導入経緯について情報提供をいただきました[13]。
●また、miyaさんも、Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/﹁ノート:南京事件 (1937年)﹂他のローカルルールについてにおいて関連議論をリストアップしてくださいました。
●議論の参加者の皆さんは、上記の情報を考慮した上で、ローカルルールの撤廃に同意されました。︵皆さんの見解はそれぞれ少しづつ違うのでしょうが、代表的な意見は﹁かつてローカルルールが必要とされるような状況があった︵かもしれない︶が、今は状況が違ってきている﹂というのものだったと思います︶
要するに、過去の関連議論を︵可能な範囲内で︶考慮に入れて判断することが大切です。Wikipedia:井戸端/subj/﹁ノート:南京事件 (1937年)﹂他のローカルルールについてでは、それができていたと思います。--Dwy 2011年9月25日 (日) 12:09 (UTC)返信
情報のおまとめをいただき感謝いたします。具体的な作業例として今後の参考とすべき事例と考え、質問いたしました。
議論の前にはローカルルールに関しての根拠などがまとめられていたとは言えない状態だったと考えます。理想を言えばローカルルール成立に参加された方から説明を受ける方が直接であり、重要な情報を考慮しないで作業を進める危険を防げたとも考えます。このような考え方をどう思われますか?
また、ローカルルールの根拠や考え方を成立に関わった方にまとめていただいていただければ今回のような負担は軽減されると考え、議論のまとめが妥当に行われることが奨励されるべきとも考えています。--Sweeper tamonten 2011年9月26日 (月) 00:18 (UTC)返信
﹁理想を言えば…﹂のところは確かにそうかもしれません。でも、ウィキペディアの参加者はみんなボランティアですから、他人に何かを強制するのは不適切ですし、現実的には不可能でもあります。それぞれの記事のノートに議論の案内を行ったわけですから、今でもウィキペディアに関心を持っていれば気付いていたはずですし、議論に参加する気があれば参加していたはずだと思います。どこまで熱心に︵しつこく︶お願いするかは個人個人の考え方次第でしょうし、過去の議論参加者のユーザーページのノートで直接議論への参加を呼び掛けても良かったかもしれませんが、私としては今現在あまりアクティブでない人のノートにまで押し掛けるのは、あまり気が進みませんでした。
﹁議論のまとめ﹂というのは、ちゃんとやろうとすると結構大変ですし、下手に纏められると却って誤解や軋轢のもとにもなりかねません。せっかく苦労して議論に結論を出したのに、更にわざわざ他の人と議論をしてまで議論を纏めるというのでは、なんだか本末転倒な気もします。﹁議論のまとめが妥当に行われることが奨励されるべき﹂は結構ですが、あまり多くを望まず、﹁気が付いたら、けじめをつける意味で﹃これこれこういう議論の結果こういう結論になりました﹄程度の簡単な総括をしておいてください﹂くらいのニュアンスにしていただきたいです。
ウィキペディアはボランティアによるプロジェクトですから、それぞれが自分のできることをやるのが原則です。みんなの為に何かが必要だと思うのなら、他の参加者の作業に期待するのではなく、必要だと思う人が自分でやるのが基本です。--Dwy 2011年9月26日 (月) 13:46 (UTC)返信
Wikipedia:説明責任の精神からすれば情報提供をお願いするくらいは問題ないと考えます。まとめについては、議論の参加者達の合意が成立しても、そのまとめが難しいとすれば、多分参加者が問題についてよく理解していないか、互いの意見をよく理解していないかわかりませんが何か不足しています。やはりそこで議論を続けて不足を埋めるべきでしょう。必ずまとめを用意しろとは言いませんが、せっかく議論を続けたわけですから、まとめを試みてもらい、不足する点があれば対応するであろうことを期待します。まとめられた論理は仕事の完成度の高さを示し、それは本人達にとっても周りの人にとっても、満足できるものになるでしょうから、まとめを奨励するのは本人達のためでもあります。既にそのための文書がありますから知恵をそこを中心に集めていけばいいのではないでしょうか?まぁ、のんびりと進めたいと思いますが。--Sweeper tamonten 2011年9月26日 (月) 15:55 (UTC)返信
人によって解釈はいろいろあるのだと思いますが、私がWikipedia:説明責任を読んでも﹁できたらログインしてほしいな﹂以上のメッセージは読み取れないわけで、現在ウィキペディアから遠ざかっている人に対して﹁戻ってきて説明してくれませんか﹂とお願いする根拠になるような﹁精神﹂は見当たらなかったりします。余計なおせっかいかでしょうが、人にお願いするときに﹁責任﹂を前提にしてしまうと、いろいろ軋轢を生じてしまうかもしれないので、気を付けてくださいね。--Dwy 2011年9月28日 (水) 12:47 (UTC)返信
Dwyさん、Wikipedia:説明責任導入部の﹁利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています﹂をちゃんと理解できるまで読み返してください。--Sweeper tamonten 2011年9月28日 (水) 15:07 (UTC)返信
﹁ちゃんと理解できるまで読み返してください﹂みたいな言い方はちょっと失礼だと思いますよ。
失礼を承知の上で敢えて同じ言い方をするなら、﹁説明責任﹂の具体的な意味については﹁人によって解釈はいろいろある﹂と言っているのを﹁ちゃんと理解できるまで読み返してください﹂--Dwy 2011年9月28日 (水) 22:04 (UTC)返信
DwyさんがWikipedia:説明責任を読んでも﹁できたらログインしてほしいな﹂以上のメッセージは読み取れないとのことですが、導入部の﹁利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています﹂があることを意識的、あるいは無意識のうちに無視されているようなのでそれではある程度読んでいただかないと理解できないと判断いたしました。今でも導入部の文言は貴方の意識の中にはないのでしょうか?--Sweeper tamonten 2011年9月28日 (水) 22:26 (UTC)返信
﹁説明責任﹂というタイトルの文書なのだから、導入部で提示された﹁説明責任を果たすことが望まれています﹂というテーマは、その後の節で具体的に敷衍されているはずです。でも、実際には﹁ログインしてください﹂以外のメッセージはないわけです。要するに、全体として﹁説明責任を果たす﹂=﹁ログイン﹂だと言っているとしか取れないじゃないですか。・・・というのが、絶対に正しい唯一の解釈だとは言いません。でも、一つの解釈としては充分可能なものでしょう。
あるいは、別の解釈として﹁説明責任﹂=Wikipedia:常に要約欄に記入するのような理解もありえます。そういう解釈だと、後からの質問に答えることは﹁責任﹂の範囲外かもしれません。
もうひとつ、もっと極端な説もあります。すべてのウィキメディア・プロジェクトは﹁登録をしないままで︵ほぼ全ての︶記事が編集できること﹂という基本的原則に基づいて運営されています。﹁ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい﹂と言ってみても、何の強制力も持ちえません。﹁望まれています﹂という煮え切らない表現自体が、﹁そういう勝手な望みを持っている奴らが多いから、気をつけろ﹂程度の意味しかないことを如実に表しているとも言えます。
最後に誤解がないように言いますが、Sweeper tamontenさんの理解が間違っていると言っているわけではありません。ただ、人それぞれ色々な解釈があるので、自分の理解が絶対正しい唯一の解釈だと思って行動すると、余計な軋轢の元になるかもしれませんよと、余計なおせっかいで注意させていただいたのです。--Dwy 2011年9月29日 (木) 14:12 (UTC)返信
御世話になってます。ノート:ラドンでの御発言﹁また、﹁トンデモ科学の見破り方﹂みたいなタイトルの一般大衆向けの読み物では、百科事典の出典として不充分です。︵一般大衆向けという意味では、アリソンの本もそうですね。百科事典の参考文献になるようなものではないと思います︶﹂を受けて、以下に質問と提案します。Wikipedia:中立的な観点/FAQ#疑似科学と科学を対等に扱うのかには﹁少数派の︵時として擬似科学的な︶意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。﹂とあります。しかし放射線関連の記事でこのルールが全く守られておらず、少数派どころか暴論に近いものが跳梁跋扈しているように感じます。このような極端な主張[14]を﹁普通の主張の一つ﹂だと閲覧者が誤解しないか心配です。そこで一度、出典の精査が必要かと思います。アリソン氏もそうですが、高田氏、服部氏のような電力中央研究所関連の人物︵私は、最近までこれらの人物を全く知りませんでした︶などの本は、どの程度引用して良いのか?引用する場合は﹁数多くの研究から否定されている放射線に益があると主張しているホルミシス効果を研究している○○氏の主張によると~である﹂などの取り決めが必要にも思います。貴方様と私であれば、全部削除で合意する事と思いますが、コミュニティの判断を仰いだ方が良いかと思います。その他のコメント依頼で提出するか、どこかのノートに節を作って﹁議論活性化﹂や﹁合意形成﹂のコメント依頼とするか、井戸端で議論するか、どれが宜しいでしょうか?御意見頂きたく思います。余談ですが、これらの本を引用している執筆者が、コメント依頼とブロック依頼と、ついでに削除依頼を提出されても、なお編集し続ける姿に、ある意味驚愕します。--JapaneseA 2012年2月26日 (日) 11:45 (UTC)返信
いつもお世話になっております。
表題に関して、あやふやなことを書いたままウォッチリストに入れ損ねたせいで放置してしまったところ、Dwyさんに補足していただけたようで、ありがとうございました。そのせいで、Dwyさんが反論を一手に引き受けるような形になってしまって、申し訳なかったと反省しきりです。議論に関しては、日本語版におけるBLPの実態に即したものというよりは、極端な例に話が流れがちで、Dwyさんの問題意識が共有されないまま終わってしまったような感じで、残念に思いました。日本語版でもインライン形式で事細かに出典が付いているBLPはいくらでもありますし、特に毀誉褒貶の激しい人物やノートで内容に関して激しく議論されている記事がそれに当たります。ですから、正確性が要求される︵された︶記述に関して、インライン形式で出典をつけるということは日本語版でもありふれた習慣だと思っていたのですが...。ともかく、今後ともよろしくお願いします。--Bugandhoney︵会話︶ 2012年9月28日 (金) 17:08 (UTC)返信
記事を書く人たちの立場からすれば、できるだけ楽をして自由に書きたいと思うのでしょうが、百科事典レベルの情報を期待する読者の側からすれば、どこの誰とも知れない人が楽に自由に書いた情報などは全く使えないわけです。
何も﹁今すぐちゃんとやれ﹂とは言いませんが、ちゃんとやる気のない人たちについて﹁排除してはいけない﹂と言いながら、﹁少しはまじめにやろう﹂と呼びかける人に対して﹁よそでやってくれ﹂では、永遠にちゃんとできるようにはならないのではないかと思ってしまいます。--Dwy︵会話︶ 2012年9月30日 (日) 15:21 (UTC)返信
一般論としては、徐々にはちゃんとできるようになってきているのではないですか。今回の件は、そういう合意重視でそのうち改善していけばよいというウィキペディアの方針と、BLPの記事主題になっている人の権利の衝突だと思ってます。BLPに関しては徐々に問題がなくなっていけばよい、ということではないはずなのですが。--Bugandhoney︵会話︶ 2012年10月1日 (月) 13:29 (UTC)返信
こんばんは、Hmanです。とりあえず、これ以上の編集合戦だけはやめてください。頭痛氏の恣意的な編集が入ったものより超氏が本来意図したかたちのものが当然掲載されるべきだとお考えであれば、それを井戸端で主張してください(コメント依頼その場ではやめた方が良いでしょう。本来行なうべき﹁まとめ﹂へのノイズになってわけがわからなくなります)。また、ブロック依頼に私を引き合いに出すのは、ご遠慮ください。依頼が必要なら、あなたご自身の判断で、必要ならいつでも躊躇無く提出して頂いて結構です。私は助言は致しましたが、結局はほぼ全ての責任と判断は、あなた個人にかかっています。--Hman︵会話︶ 2013年1月5日 (土) 10:39 (UTC)返信
編集合戦にするつもりはありません︵もう一回だけリバーとすることについて、ちょっと誘惑に駆られましたが︶。私としては、超さんのコメントもさることながら、自分のコメントが本来の位置︵頭痛さんの﹁まとめ﹂の直後︶にないことを問題視しています。編集内容の要約欄でHmanさんを引き合いに出してしまってごめんなさい。管理者の方が﹁ブロックを提案することが可能なケース﹂と言っている事実を突きつければ、頭痛さんも我に返って考え直すと思ったのですが、考えが甘かったようです。--Dwy︵会話︶ 2013年1月5日 (土) 10:58 (UTC)返信
はじめまして。いきなりの投稿、失礼します。ノート:百人斬り競争の部分で、大和屋敷さんという方が一方的な編集をしてノートでの対話を拒否して困っています。一方的なお願いになってしまい心苦しいのですが、できれば、どうすべきかお知恵をお貸し頂けたら幸いです。--東中野花道︵会話︶ 2013年3月21日 (木) 01:03 (UTC)返信
知恵というほどのものはありませんが…
ノートで提案したことに対して︵しばらく待っても︶異議が出なければ、ウィキペディアでは﹁合意成立﹂と扱います。相手がノートでの議論を拒否しているのなら、簡単に合意が成立します。相手の態度が悪くても、こちらは誠実に議論するポーズを崩さず、議論・提案=>反論・異論を待つという手順を踏んで下さい。
相手を非難したい気持ちをぐっと抑えて、記事の編集についての議論に集中すべきです。相手から﹁個人攻撃﹂という反論を喰らうと話がややこしくなりますし、後から来た人に﹁どっちもどっち﹂とか言われて、とても不快な思いをします。
相手は相当議論が強い︵自説を容易に曲げない︶人なので、議論するなら覚悟を決めて、気長にゆっくりやることです。--Dwy︵会話︶ 2013年3月23日 (土) 02:08 (UTC)返信
丁寧なご回答ありがとうございます。ご指摘のとおり、ちょっと焦っていたみたいなので、あせらずにゆっくりやろうと思います。--東中野花道︵会話︶ 2013年3月25日 (月) 16:44 (UTC)返信
いい加減、当方のアカウントを追跡し、投稿内容、アップロードに至るまで監視し、いちいち口出しするのをやめて下さい。はっきり言って迷惑です。マナー違反でしょう。Wikiでは誰でも自由に投稿できるはずです。なぜ貴殿に見張られなければならないのですか。このような追跡行為は即刻やめてください。--Ursus.japonicus︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 09:41 (UTC)返信
井戸端や削除依頼でコミュニティの意見を求めていたから、コミュニティの一員として意見を述べたまで。私の意見がお気に召さなかったのでしょうが、だからと言って、こんなところまで追いかけて来て馬鹿げた言いがかりを付けるのは、それこそ迷惑だし、マナー違反です--Dwy︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 13:01 (UTC)返信
意見を述べることについては別に否定はしてません。それに意見を求めたのは、Commonsの井戸端でのみです。それ以外での意見、行動は求めていません。では何故誰にも言わずにアップロードしたファイルについて、どうやってそれを察知し、言及できたと。言動が矛盾してますよ。--Ursus.japonicus︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 13:14 (UTC)返信
議論に参加するときに、関連するページをウオッチリストに入れるのは普通のこと。あなたの編集を監視していなくても、関連するページにおかしな編集があれば気付くのは容易です。
それから、失礼な言い草に腹が立ったから、はっきり言いますが、あなたは、フリーであることが確認できていないコンテンツを所定の手順を踏まずに強引に使おうとしているわけで、そういうのはコモンズやウィキペディアにとって有害な行為です。そういう有害行為を防止するために、誰かがあなたを監視したとしても︵私はそれほど暇じゃないので、そういうことをするつもりはありませんが︶、自業自得で仕方がありません。﹁やめて下さい﹂とか言える立場では全くない。--Dwy︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 14:32 (UTC)返信
手順はちゃんと踏んでおります。強引に使おうともしておりません。何も分かっていないのに勝手な言いがかりはやめてください。--Ursus.japonicus︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 14:41 (UTC)返信
Dwy様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。Ursus.japonicus様、ウィキペディアンにはそれぞれ得意分野の守備範囲というものがあって、Ursus.japonicus様がそこに飛び込んで行っている形となっています。仮に話し合いの決裂によってDwy氏のクレームを排除できたとしても、同じような守備範囲の方は他にも何人もおられますので、何の解決にもなりません。衝突を繰り返すことでUrsus.japonicus様の心象だけが悪くなっていきます。貴重な画像を有効に利用したいという思いは皆同じですので、画像のピースをウィキペディアのルールにはめることを手続きという加工法で実現していきましょう。どうぞ皆様と一緒に画像投稿の手続きに集中していただきたく思います。--Triglav︵会話︶ 2016年6月5日 (日) 14:58 (UTC)返信
OTRSがライセンスを承認しないのは私のせいではないし、コモンズで削除依頼を出したのも私ではない。私は、ただOTRS担当の方の考えを推測・解説し、Ursus.japonicusさんの主張の線で話を纏めるのは難しいですよ、OTRSの方と話をして折り合っていかないとダメだと思いますよ…とアドバイスしているだけです。
今回ウィキペディアにアップしたファイルについても、出典・ライセンス情報の不備を指摘したのは私ではないし[16]、﹁ウィキペディア日本語版に削除逃れのように投稿されてもやはり削除されます﹂という警告も私ではない[17]。私だけが悪者のように言われるのは、何故なのか?︵まあ、不徳の致すところなのかもしれないが…︶
今迄の議論の中でUrsus.japonicusさんに賛同して﹁OTRSは直ちに削除されたファイルを復帰すべきだ﹂と言ってくれた人が一人でもいましたか?OTTSを始めとするコミュニティの意見に耳を傾け、折り合っていくことが、Ursus.japonicusさんには必要だと思います。--Dwy︵会話︶ 2016年6月6日 (月) 04:18 (UTC)返信
ファイル‐ノート:Ooegawa kakou fukin.jpgでのご意見に関しまして、ここ10日ほど私事でお返事をちゃんと書く余裕がなく遅くなりました。申し訳ありません。ファイル‐ノートでは議論が進んで書き込みづらいので、ひとまずOTRSの判断についてはこちらに書かせていただきます。
●Dwyさんのメールのやり取り等、非公開の場で許諾されたライセンスの有効性については、OTRSに判断してもらうのが正規の手続きではないでしょうか。について‥
コモンズでは著作権者による許諾の有効性について認定するシステムが整っています。多言語に翻訳された﹁E-mail template﹂もあります。今回のように、E-mail templateという手段に応じていただけなくても十分な情報を得て﹁これなら大丈夫だろう﹂と判断する場合もあります。しかるにjawp上のファイルについては﹁E-mail template﹂も﹁正規の手続き﹂も定まっていないので、permission-commonsもしくはinfo-jaメンバーとしては︵明らかにOKまたは明らかにNGでないかぎり︶﹁こういう趣旨のメールが届いています。jawpとして受け入れるか議論してください﹂と申し上げるのが限度ではないかと思っています。コモンズ基準でNGならjawpでも自動的にNGだ、というコンセンサスがあるようにも思えません。
●Dwyさんの一般のユーザーにはごく一部の情報しか開示されていないのですから、コミュニティとして責任が取れる議論が成立するとは思えません について‥
私が﹁コミュニティの議論でおねがいします﹂と書いた時点では、ことの是非はともかく、先方のメール内容を投稿者がほとんど全部公開してしまっていた︵TriglavさんのメールTicket:2016061210007859はそれを確認する内容でした︶ので、jawpコミュニティとして議論は可能だと考えました。
その後、加工前の航空写真の撮影者について河川事務所へ問い合わせて︵Ticket:2016062010001591︶﹁河川事務所が撮影したもの﹂という回答を引き出してくださった方がおられます。これについてはのちほどファイルのノートに書きます。2016年6月26日 (日) 18:23 にご提示くださった問い合わせ文案につきましては、もう一人のpermissionキューメンバーに改めて相談させていただきます。
--miya︵会話︶ 2016年7月1日 (金) 16:51 (UTC)返信
- ファイルのノートに書きましたように、私の読解力と要約力不足により問題を明確にお伝えできなかったこと、そのためにDwyさんに貴重なお時間を割かせてしまったことを心からお詫びいたします。--miya(会話) 2016年7月3日 (日) 16:39 (UTC)返信
はじめまして。貴殿の﹁合意形成﹂私論[18]を拝読させて頂きました。
当方は当該私論並びにガイドラインに沿って行動したつもりが、あるベテランユーザに﹁編集強行﹂と詰られました。新参者の私の方がWikipediaの理解が浅いのは間違いないものの、場合によっては、
ベテランの方も理解の齟齬がある可能性も否めないと思い、大変お手数ですが、以下のケース︵現実のケースをモデル化しています︶において、議論参加者が円満に進める適切な方法について、ご意見頂けないでしょうか?
●ある記事が複数のユーザにより作られた︵版1︶
●そこに急きょ登場したユーザJが、ノートで議論することもなく名誉棄損的内容を含む大幅加筆除去を強行。結果、編集合戦で保護に。残念ながら、この編集強行者Jの版で、保護となった︵版2︶。その後、強行者ユーザJは、一切議論に参加しなくなった。
●保護期間中に、新規にユーザAと私がノートに参加。版2の名誉棄損的な内容の除去を議論。保護明けに、ノートで一番積極に関与していた私が、ノートでの議論を踏まえて﹁版1をベース﹂に加筆し、版3を作成した。
●私は、﹁版3にまだ問題点があるなら修正する︵=ユーザAの意向をまだ汲みたりない所があれば、具体的に教えて欲しい︶﹂とユーザAに呼びかけた。
●これに対して、﹁私の版3︵=版1への戻し︶は編集強行である!ノートでの議論の前に、まず版2に戻せ。話はそれからだ!﹂とユーザAは激怒。
この場合、ユーザAが正しいとすると、﹁ノートで議論無く加筆するユーザJ︵版2︶は認めるが、ノートで議論した末加筆した私︵版3︶は認めない﹂という意味になり、不合理に当方には思えます。
この点、﹁合意形成﹂に知見をお持ちのDwy様のご意見をご教示頂きたく存じます。
本モデルで言えば、版1、版2、版3のどれを記事ページに残しながら、残った論点についてノートで議論を深めていくべきでしょうか?
実際のケースはノート:ヘッジファンドダイレクトの﹁適切な議論のための版の整理﹂で議論されています。私が金融の専門家、ユーザAがJapaneseA氏、強行者Jがジャム・パンナ氏︵活動停止中︶です。
今のところ、私はJapaneseA氏に怒られたので版3を自分で一旦、取り下げております。しかしながら、
●名誉棄損的な版2がいまだに人目に触れている状況はおかしいし、名誉棄損的記述を除去して、その上であえて版2を残すのも、版作成の経緯から見て理不尽
●ノートで議論した内容や、新しい内容が加筆された版3にした上で議論を続行するので良いのではないか? ﹁版3にした上で、そこを再度ノートで議論しながら改善していくプロセス﹂は編集強行と呼ぶべきものなのか。本当に版2に戻す必要があるのか?
●なんなら、版1に戻るのでも、私は全く構わない。
と考えている次第。
このように、私から見た場合にはJaoaneseA氏が勘違いしているように見えるのですが、逆から見ると、私の方が﹁合意形成﹂に関する理解が未熟で、私の方が﹁編集強行者﹂である可能性も十分あると自覚しています。
ついては、ぜひご意見を頂きたい次第です。お忙しい中恐縮ですがご意見お待ち申し上げます。--金融の専門家︵会話︶ 2016年9月23日 (金) 08:10 (UTC)返信
コメント 横から失礼しますが、﹁Wikipedia:井戸端/subj/編集合戦になった場合、どの版で議論すべきか?﹂をご覧ください。--LudwigSK︵Talk/History︶ 2016年9月23日 (金) 08:40 (UTC)返信
LudwigSKさん、勿論、その井戸端も拝見したのですが、結局、﹁各編集人が手を放す﹂という実務的では無い結論で終わった印象を持っており、私にとっては納得に至ってなかった状況でした。その後、偶然、Dwyさんの文書を発見するに至り、ここに解決策があったと思った次第。その矢先に自分が上記ケースに遭遇した為、その解決策を現実に当てはめてみたつもり、という経緯です。にも関わらずベテランに怒られてしまったので、ご意見をもらいに来た次第というわけです。--金融の専門家︵会話︶ 2016年9月23日 (金) 08:52 (UTC)返信
﹁版1、版2、版3のどれを記事ページに残しながら、残った論点についてノートで議論を深めていくべきでしょうか?﹂という質問に対して、金融の専門家さんが期待されるような答えは、利用者:Dwy/合意形成には含まれていないと思います。会話さんは﹁実務的では無い﹂とおっしゃっいますが、結局のところ、答えは﹁各編集人が手を放す﹂しかありません。
あの私論に絡めてひとつ言えることは、議論を手早くまとめて結論を出すようにしてしまえば、議論中の暫定版がどの版かはどうでも良くなるということ。ここがポイントです。
そのためには、﹁完璧版﹂を求めていつまでも議論を続けるのではなく、お互いの主張を認めあった上で、出来るだけ早く﹁不完全な妥協案﹂にたどり着くことを目指すべき。また、ウィキペディアでの合意は必ずしも全員一致を意味しないこと︵議論を尽くした後に大多数の人が賛成していれば、少数の反対者が存在しても合意は成立すること︶を、コミュニティの共通認識として確認しておくことも重要です。
一対一の議論が煮詰まったら、いつまでも二人だけの議論を続けるのではなく、第三者の意見を求める。第三者が入ってきて︵議論を尽くした後に︶3対1とか4対1の議論になっていれば、コミュニティとしての結論は大体見えたと言って良い。その状態に出来るだけ早くたどり着くことを目指すべき。
利用者:Dwy/合意形成から言えるのは、このくらいだと思います。--Dwy︵会話︶ 2016年9月23日 (金) 23:53 (UTC)返信
もう一つ。井戸端の議論でも紹介しましたが、英語版ではしばらく前からen:WP:NOCONSENSUSという考え方が出てきています。これは、上に述べたような手順を踏んでもコミュニティとしての結論が出ないときは、いつまでも議論を続けるのではなく、﹁合意が成立しない﹂という結論を出して次に進もうというものです。﹁合意が成立しない﹂場合、英語版では、基本的には論争開始前の安定バージョンに戻す︵但しWP:BLP絡みの記述は除去する︶というルールになっています。--Dwy︵会話︶ 2016年9月24日 (土) 00:16 (UTC)返信
Dwy様、大変有意義なアドバイス有難うございます。﹁議論を手早くまとめて結論を出す﹂﹁出来るだけ早く﹃不完全な妥協案﹄にたどり着く﹂を心がけて参る所存です。最後に1点だけen:WP:NOCONSENSUSについてご教示ください。妥協案を目指す中、現実問題として、現状の版 VS 改善派 の関係にある時に、現状派は﹁議論を遅延させ合意を遅らせるインセンティブ﹂が内在しています。その結果、議論が膠着した場合には、上記ケースでは版1になるという理解で宜しいでしょうか?実務的には、当面の参加者の中で誰も反対しない時点を探して︵合意を取って︶、皆でそこに戻ることを許容する、という﹁ある意味の合意成立﹂という理解でよろしいでしょうか︶--金融の専門家︵会話︶ 2016年9月24日 (土) 01:00 (UTC)返信
おっしゃっるような理解で大体良いと思いますが、少しだけ微修正すると、
履歴を遡り、その時点ではコミュニティの誰も反対していなかった時点を探して︵合意を取って︶、皆でそこに戻る︵それで固定という意味ではなく、そこをスタート地点として、そこから新たな議論や編集を始める︶ことを許容する、という﹁ある種の合意成立﹂
ということになると思います。--Dwy︵会話︶ 2016年9月24日 (土) 02:44 (UTC)返信
ご教示頂き、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。--金融の専門家︵会話︶ 2016年9月24日 (土) 03:24 (UTC)返信
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