ウィキペディアにようこそ!
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こんにちは、Yama-no-juninさん、はじめまして! ウィキペディアの参加者の一人、Goodpapa3と申します。ウィキペディアへようこそ!
●ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
●よろしければ自己紹介してみてください。
●お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
●執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
●何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Goodpapa3 2007年1月30日 (火) 17:40 (UTC)
メッセージありがとうございます
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こんにちは。中山讓の件でメッセージを頂いた利用者:Tomo_suzuki︵会話 / 投稿記録︶と申します。Yama-no-juninさんをウィキペディアにお迎えすることができて嬉しいです。
今、新たにカテゴリを追加してみたのですが、いかがでしょうか。
体裁を整えることは、ある程度の期間ウィキペディアに接している人は誰でもできます。しかし、Yama-no-juninさんのようにある特定分野の知識を持っているユーザーはそう沢山いらっしゃるものではありません。細かい所は、間違えても他の誰かが直してくれます。だからYama-no-juninさんにはのんびりと編集していって欲しいと思います。
何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端に書き込みをすれば誰かが助けてくれます。もちろん私の会話ページで質問してくださっても結構です。
では、今後ともよろしくお願いいたします。--Tomo_suzuki 2007年1月31日 (水) 16:07 (UTC)
サブページの作成に関しまして
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はじめまして。NEONと申します。草案として作成されたYama-no-junin/木版画など3項目ですが、記事名の最初の﹁利用者:﹂が抜けている為に、標準名前空間に作成されております。︵本来ですと利用者:NEON/始祖鳥下書きのような名前になります。︶
このままですと通常の記事と同様の扱いとなってしまいますので、各記事を利用者:Yama-no-junin/木版画等へそれぞれ移動し、元記事を削除依頼に出される事をお勧めいたします。おそらく即時削除が可能だと思いますので、Wikipedia:即時削除の方針をご確認下さい。それでは。- NEON 2007年2月17日 (土) 17:42 (UTC)
ノート返事の続き
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ノート:版画と重複する部分がありますが、こちらにお返事します。
﹃木版画﹄に特化した記載の場合は﹃木版画﹄へ加筆するのもありだとは思います。木版画に対する教育的利用の側面などがあれば読んでみたい気もします。^^ もし木版画の作成方法などを重点的に執筆するのであれば、姉妹プロジェクトのウィキブックス︵教科書・参考書プロジェクト︶というものもあります。執筆する上で説明用の画像や参考画像などがほしい場合はウィキメディア・コモンズ︵例‥Commons:Category:Printmaking︶を、また草案状態ですが印刷関連だとPortal:デザインがあります。執筆の合間にでも覗いてみてくださいね。
、、、ということで、これからもYama-no-juninさんの執筆活動を楽しみにしています。^^ --toto-tarou 2007年3月30日 (金) 16:02 (UTC)
中山讓はよく知らないのですが、お手伝いをと少し修正しました。改めてみて気になったところを再修正しましたがまずいようなら戻してください。またどこかの記事履歴でYama-no-juninさんをお見かけすることを楽しみにしています。^^--toto-tarou 2007年3月31日 (土) 15:18 (UTC)
お誘い
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こんにちは。石川県ご出身もしくは石川県ご在住とお見受けし、Portal:日本の都道府県/石川県への参加お誘いに上がりました。よろしければ、Portal:日本の都道府県/石川県/参加者へご記名ください。--竃馬 2007年4月13日 (金) 04:12 (UTC)
今日からマ王の問題について
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Yama-no-juninさん、はじめして、Arashidonoです。私のIPは83.33.141.98です、203.83.115.130/131/132と関係がありません。Miyuchanの言う通り、スペイン人で、スペインから書きます。偶然にIP野の"83"の数字が同じですが、私は別人です。実はヴォルフラム派なので、203.83.115.130/131/132の消した情報を何回も直しました。だから、私のIPは履歴のページにもよく出ていますが、何も悪いことしていなかった。日本語の履歴も外国語の履歴も確認できます。一回だけ日本語版で間違がって、﹃提案﹄のところを消してしっまったけれど、Yama-no-junin さんの貼った﹃提案﹄テンプレート外すつもりがなかった。IP203.83.115.130/131/132さんはまた変更したと見たら、あまり考えずにできるだけ早く前のヴァーションを取り戻そうと思いました。だから、前の自分で直したところから (IP 83.33.141.98 として︶編集して、そのままに置きました。ただでそのページはYama-no-junin さんの貼った﹃提案﹄の前の変更だったのは今まで全く気づかなかったのです。ご迷惑をかけて本当に本当にすみません。でも、悪意ではなくて、ただの間違いでした。それに、私のニックネーム﹃荒らし殿﹄ではなくて、﹃嵐殿﹄ですけど、 よろしくお願いします。Arashidono
署名の付記について
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はじめまして。T.TGYと申します。先ほど、ノート:生徒諸君!を拝見しましたところYama-no-juninさんが署名のないコメントに署名を補っているのを見つけました。しかし、その方法がWikipediaにおいてあまり見かけない方法でしたのでこちらをご存知でないのではと思いお知らせに参りました。すでにご存知でしたら申し訳ありません。なお、今回のノート:生徒諸君!に関しては私のほうでTemplateを使用した方法に書き換えさせていただきました。ご了承ください。--T.TGY 2007年8月24日 (金) 13:56 (UTC)
ご参考まで
編集- お久しぶりです。金名線の駅シリーズ(勝手に命名)ご覧いただきありがとうございます(さっき「大日川駅」追加しました)。
- さて、ソートキーは私も駅シリーズでつけ始めたばかり(「白山下駅」につけてもらったのをまねして)でして、よく分かっていません。DEFORTSORTというものがあると聞き、こりゃ便利かも~とつけてみたら、全部書き直されてしまいました。「廃」をつけなければDEFORTSORTで全部行けそうな気がするけれど。当分は議論の成り行きを見守ろうかなと思います。--Yama-no-junin 2007年8月30日 (木) 15:48 (UTC)
もうちょっと手を加えたほうがいいです
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寒くなってきましたね。これ ですけど、当該サイトの文と完全一致する部分がありますので、引き写しととられないように修正されてはいかがでしょうか。要約欄記述も、今後は一工夫されては?正直に過ぎると︵私みたいに︶下司な輩の目を引きますよー。--竃馬 2007年10月17日 (水) 09:54 (UTC)
お久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。この項目自分としてもまずいかなぁとは思っていたのです。やっぱ削ろう。では行ってきます。p.s.そう言えば、利用者ページの﹁竈馬﹂の写真変わってましたね。--Yama-no-junin 2007年10月17日 (水) 15:50 (UTC)
事後報告ですみません
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やったこと
﹁ねがい (うたごえ)﹂を﹁ねがい (合唱曲)﹂へ移動しました。
起きたこと
リダイレクトページになった﹁ねがい (うたごえ)﹂は、不備を理由に削除されました。 利用者:Yama-no-junin#初版を執筆したページの﹁ねがい (うたごえ)﹂が、結果、左記同様に赤リンクになっています、ごめんなさい。
お願い
旧記事名にあった﹁うたごえ﹂とは、たぶんこういうこと だろうと思って編集しました。誤っていたり、もっと良い記述のしかた︵本文への組み入れなど︶があれば、修正して下さい。
--竃馬 2007年11月12日 (月) 08:28 (UTC)
いつもお世話いただきありがとうございます。﹃ねがい﹄ってB'zだけじゃなくいろいろあるんですね~。また勉強になりました。--Yama-no-junin 2007年11月12日 (月) 14:09 (UTC)
利用者・兜差より白山麓・談話室へのお誘い
編集マ王関係で
編集獅子吼高原の記事について
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Yama-no-juninさん新たな情報ありがとうございます。コメント依頼したうえで、 ノート:獅子吼高原スキー場 に議論の提案をしてみました。よろしければ当該ノートページにYama-no-juninさんのご意見を下さればと思います。先ずはご報告迄--兜差 2008年2月16日 (土) 08:06 (UTC)
ご苦労様です。話し相手が多いほうがいいと思うので、Category:石川県在住のウィキペディアン、Portal:日本の都道府県/石川県/参加者の皆さんにも呼びかけてみてはいかがでしょうか。︵フツーに賛同してくれそうな気がしますが︶--Yama-no-junin 2008年2月16日 (土) 15:03 (UTC)
詳細な調査ありがとうございました。遅まきながらPortal:日本の都道府県/石川県/参加者の皆さんへ議論参加のお願いを致しました。先ずはご報告迄。--兜差 2008年2月19日 (火) 01:45 (UTC)
︵インデント戻す︶お世話になっております。兜差です。先日ある調べものをしていた折り、止宿︵四宿とも言うそうです︶について書かれたこちらのページを発見致しました。寄稿された方は﹁鶴来ふるさと研究会﹂にも所属されていて、私がよくお世話になっている先輩です。獅子吼高原の歴史の記事に活かせればなぁと思いご連絡申し上げました。私が直接編集に当たれば良いのですが、ちょっと今解決したい事項がある為、集中出来ません。急いでいるわけでも無いのですが、よろしければYama-no-juninさんにまとめて頂ければ幸いに存じます。ちなみに四宿の一つである﹁白山堂﹂は現在の白山市鶴来本町四丁目にあったそうです︵広報つるぎより︶。--兜差 2008年2月21日 (木) 11:39 (UTC)
ご連絡ありがとうございます。合衆国便り読ませていただきました。﹁獅子吼﹂は仏教用語だったのですね。調べたところもともと﹁師子吼﹂と書き﹁仏様の説法﹂を意味する言葉だったようです︵法華宗獅子吼会のHPより。大辞泉では﹁獅子がほえて百獣を恐れさせるように、悪魔・外道︵げどう︶を恐れ従わせるところからいう﹂と説明されています︶。四宿と書くのも聞いたことがありましたが、文字通り﹁4つの宿﹂だったのですね。勉強になりました。--Yama-no-junin 2008年2月21日 (木) 13:58 (UTC)
教えていただいた情報をもとに命名の由来について追記してみましたのでご確認ください。ちょっと大雑把過ぎますでしょうか?--Yama-no-junin 2008年2月22日 (金) 15:07 (UTC)
兜差です。記事の加筆修正を確認致しました。ありがとうございます。あくまで獅子吼の語源に関する記述ですから、今の形で良いと思います。--兜差 2008年2月22日 (金) 23:14 (UTC)
︵インデント戻す︶ノート:獅子吼高原スキー場への貴重なご意見ありがとうございました。提議から一週間が経過し、当該ページの内容変更に多くの賛同を得て、合意形成がなされたと判断いたしました。引き続き、改名提案を行いページの移動に掛かりたいと思いますので、改名に関しご意見がおありでしたら、またお願い致します。先ずは御礼と御報告迄。--兜差 2008年2月25日 (月) 01:22 (UTC)
お世話になっております。兜差です。獅子吼の歴史の記事で小原︵おはら︶に関する記述を少し変えさせていただきました。金沢の小学生にとってメッカならば、私たちは︵体育の授業と放課後に︶毎日通ったいわば聖職者なものですから︵笑︶…。先ずはご報告迄。--兜差 2008年2月26日 (火) 02:37 (UTC)
確かにそうでしょうね︵白峰っ子にとっての白山白峰温泉スキー場のようなものだわ…来シーズンからどうなるんだろう︶。ちなみに私が現役小学生︵金沢市︶で小原にスキー遠足に行っていたころは、みんなミニスキーとソリでしたね。兜差さんはバリバリ滑っていたんでしょうね。--Yama-no-junin 2008年2月26日 (火) 13:35 (UTC)
●︵ご報告︶獅子吼高原スキー場に関するご意見ありがとうございました。獅子吼高原スキー場から獅子吼高原へとページの移動を行い、記事内容の大幅変更を致しました。よろしければ査読いただきまして、お気づきの点があれば加筆修正またはご指摘を願えれば幸いです。ご報告と御礼迄。--兜差 2008年3月3日 (月) 01:30 (UTC)
こんばんは。さっそく読ませてもらいました。いい記事になりましたね。﹃﹄は書籍・映画等のタイトルで使うものらしいので、これから少し整理します。
﹁高原﹂の定義、そうだったのか~とまたまた勉強になりました。しかしそうなると、瀬女高原も大倉岳高原も定義に外れているような?? やっぱりこれも﹁勝手につけたネーミング﹂ですかね︵笑︶--Yama-no-junin 2008年3月3日 (月) 13:50 (UTC)
︵インデント戻し︶フォローありがとうございました。兜差です。 私のノート︵勝手にお名前使ってます。スイマセン!︶にある方から獅子吼高原に関するご質問をいただきまして、﹁獅子吼高原﹂が高原に定義されるような自然対象であるか否かをちょっと悩んだのですが、色々調べたり訊いて回った結果、記事の内容通り開発された地域と言うことで間違い無いようです。実際に開発の弊害があったようで、後高山頂の木の伐採を行ったため、後高山から旧鶴来地区を通って手取川へ流れ出る﹁平等寺川﹂に、土砂が多く流れ込むようになったそうです。
自然としての﹁高原﹂定義からすれば﹁獅子吼高原﹂はいわばナンチャッテ高原なわけですが、同様に会津高原︵参考にしました。と言うか丸写し?︶や伊豆高原のように開発された地域を﹁高原﹂と称する所が結構あるようです。リゾート地としてのイメージを﹁高原﹂という名称を使って強調したいという意図なんでしょうが、いま流行の﹁偽装﹂と言われても仕方ないかも…︵笑︶。大倉岳はちょっとわかりませんが、﹁瀬女﹂は確か尾口村の瀬戸と女原を合成して、﹁アイルトン・セナ﹂を意識した造語だったはずです。--兜差 2008年3月4日 (火) 06:30 (UTC)
︵追伸︶﹃﹄の件、お任せしました。何卒よろしく。--兜差 2008年3月4日 (火) 06:53 (UTC)
お手伝い下さい 金名橋の架かる位置
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おひさしぶりです。 で、いきなりのお願いなんですが金名橋の架かる位置、ご存知ありませんか?金名橋を追加[1]したんですが、後から良く見るとどうも上流から順番に橋が書かれているみたいなんですね。最後尾に追加したんで、このままでは金名橋は北陸自動車道より海側︵!︶に架かっているように見えてしまいます。で、必死に位置を捜したんですが分りませんでした︵現地へ行け、と叱られそうですが︶。もし架かる位置をご存知なら、手取川#主な橋梁にて、金名橋を適切な位置に修正戴くとうれしいです。--竃馬 2010年1月25日 (月) 09:05 (UTC)
こちらこそお久しぶりです!金名橋は鶴来中島町︵旧河内村のすぐそば︶にあります。さっそく修正しましたのでごらん下さい。--Yama-no-junin 2010年1月25日 (月) 12:39 (UTC)
ありがとうございました。157号として架かる橋が多いので少し加筆してみました。ついでに赤リンクにしておきました︵どなたかの初版ネタ用です。うへへ︶。--竃馬 2010年1月25日 (月) 13:02 (UTC)
さっそくお返事ありがとうございました。︵金名橋は兜差さんにお願いしたほうが…︶女原大橋︵尾口︶~天狗橋 の間にも小さい橋がたくさん︵ありすぎる!︶あります。その中でも一覧に加える価値がありそうなのは
●黄門橋︵下吉野~釜清水︶…国道360号
●江津橋︵河内町江津~河合︶…石川県道180号
︵金名橋はここに入る︶
●鳥越大橋︵鶴来白山町~広瀬町︶…石川県道44号
でしょうか。︵出典は﹃白山麓広域電話帳﹄︶ご検討下さい。--Yama-no-junin 2010年1月25日 (月) 14:22 (UTC)一部訂正--Yama-no-junin 2010年1月25日 (月) 14:38 (UTC)
うーん、﹃白山麓広域電話帳﹄、ググったけど、出てこない。発行元はどこでしょう?--竃馬 2010年1月27日 (水) 08:54 (UTC)
ごめんなさい。これは﹁白山商工会︵白山麓旧5村の商工会が統合したもの︶﹂が発行しているものですが、地図の部分は刊広社が制作しています。--Yama-no-junin 2010年1月27日 (水) 11:11 (UTC)
(インデント戻します)お忙しいようなので、上記の三つの橋を追加しておきました。こんなショボイ橋は入れんでよいと思われましたら削除してくださいませ。--Yama-no-junin 2010年2月2日 (火) 16:12 (UTC)
お疲れ様です。橋の節なのに以前から道でソートされてたので、橋メインにソートして見ました。﹁ショボイ﹂ってのは規模のこと言ってます? 下流は川幅が広くなるから立派な橋が多くなるのは当然。少なくともその道路が記事になっているなら、上流の小さい橋でも書いとく意味はあると思う。--竃馬 2010年2月2日 (火) 18:33 (UTC)
そうですね︵というわけで対山橋を追加しました︶。これらの橋、一つ一つ見ていくと面白い所がありましてね。とりあえずここに書いておきます。ちなみに﹁新しい﹂と言っているのはここ5年程以内を指しています。でもこんなトリビア書く必要ないかー。
●赤谷大橋…手取湖にかかる。厳密には支流の﹁赤谷川﹂にかかっている。
●鴇が谷大橋…同じく手取湖にかかる。これも厳密には支流の﹁下田原川﹂にかかっている。
●女原大橋…東二口と女原を結ぶ。両端で標高がかなり異なる。
●尾口大橋︵入れませんでした︶…女原大橋のすぐ近くにある。この地点で手取川が大きく曲がっているためにR157は従来崖の下を通っていたが、崖崩れでスノーシェッドが倒壊する危険があったため作られた新しい橋。
●江津橋…詳しくは石川県道180号河合江津線へ。
●鳥越大橋…従来石川県道44号が通っていた広瀬大橋︵金名橋のちょっと上流にあります︶が老朽化し、鳥越に新しい団地が作られ通行量の増加が予想されたためかけられた新しい橋。
●天狗橋…かつては北陸鉄道能美線が通っていた。手取川大洪水で大半が流され、新しい橋げたを架けて使っていた。老朽化が進み、現在新しい橋を建設中。
●R157関係では濁澄橋︵尾口‐吉野谷境︶とかわち大橋︵河内町口直海︶も入れたかったけど、それぞれ支流の尾添川と直海谷川なので入れませんでした。--Yama-no-junin 2010年2月3日 (水) 13:11 (UTC)
『北陸鉄道50年史』
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Yama-no-juninさん、oonoumiです。﹁手取遊園﹂の件、ご連絡いただきありがとうございます。リンク先の開園部分のみを見て閉園部分を完全に見落としてました。</br>
﹃北陸鉄道50年史﹄ですが、自分が大学在学時に大学の図書館で読んだだけですので、今現在あるかどうか分かりません。なお、統合案︵リダイレクト化︶に賛成なのは変わりませんが、最近の編集回数が少ないこともありコメントに変更させていただきました。--oonoumi 2010年2月21日 (日) 03:34 (UTC)
Re:「手取遊園地」統合の討議にご参加下さい
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ごぶさたしております。兜差です。表題の件でせっかくご連絡をいただきながら、色々私情や仕事ででごたごたが続き、Wikipediaを閲覧することもままならず、ご返事が遅れまして大変申し訳ありません。﹁手取遊園地﹂の件はとっくに解決済みのようですので、この度はお詫びのご返事迄。--兜差 2010年5月22日 (土) 12:26 (UTC)
追伸 金名橋の件ですが、ご存知のことかもしれませんが金名線手取川橋梁︵中島橋梁︶を撤去後、金沢の旧御影大橋の廃材を利用して架け替えられたというトリビアもあるのですが、記事としては手取川#主な橋梁にそぐわない気がしますし、何より自分のパワーが…!--兜差 2010年5月22日 (土) 13:11 (UTC)
こちらこそごぶさたしています。﹃手取遊園﹄自分が出かけた記憶がなく、兜差さんならご存知かなぁと思ったので、最近おいででないのを承知の上でダメもとでお誘いしてみました。金名橋の件については手取キャニオンロードの項にOonoumiさんが書いてくれてあります。--Yama-no-junin 2010年5月22日 (土) 13:33 (UTC)
記事 北國新聞
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えーと、過去の版に遡ってゴソッと削除されています。Yama-no-juninさんがお書きになった分︵文︶も巻き添えになっているのかもしれません。遅い報告ですみません。--竃馬 2010年6月10日 (木) 09:19 (UTC)
- お久しぶりです(見た目が思い切り変わっていたのでビックリ)。私が書いたのはほとんど「社史」の部分(編集姿勢のサブタイトル「ふるさとメディアとしての自負」をつけたのも私)で、確認したところ全部残っていました。ご心配いただきありがとうございました。--Yama-no-junin 2010年6月10日 (木) 13:08 (UTC)
手取川の橋について
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Hirorinmasaです。メッセージありがとうございます。Yama-no-juninさんのご意見に関してお答えいたします。
まず金名橋ですが、ご指摘の通り旧金名橋は架け替えによりなくなっており、犀川に架けられていた御影大橋の一部を移設して現在の橋となっております。撮影当時︵2011年︶、橋のたもとにある﹁金名橋﹂の説明書きにもそのことは書いてありました。ご指摘ありがとうございます。なお、手取キャニオンロードについては、今後瀬木野駅跡も含めてアップする予定です。
次に天狗橋ですが、撮影したのは金名橋と同じく今年2011年です。現在、架け替え工事中であり写真の一部にも新しい橋脚の鉄筋が写っています。廃線となった橋脚の画像は現在持っておりません。--Hirorinmasa 2011年11月4日 (金) 14:35 (UTC)
「手取川大洪水」に関して報告
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こんにちは。Yama-no-juninさんが下書きとして作成されていた利用者:Yama-no-junin/手取川大洪水から、LTA:HEATHROWにより、無断転載と思われる形で手取川大洪水︵ノート / 履歴 / ログ / リンク元︶が作成されました。履歴継承はなされているので削除は難しそうなものの、他利用者の下書きの無断転載がウィキペディア日本語版において以前からトラブルの原因となっていることを踏まえて、いちど手取川#災害にリダイレクト化しました。ただ、もしYama-no-juninさんが無断転載に関してお気になさらない場合などは初版などにリバートしていただいても私としては差し支えありません。︵ただ、LTA:HEATHROWは低質な編集も多いので、個人的にはその後の加筆に関しては精査したほうが良さそうに考えています︶--郊外生活︵会話︶ 2022年4月18日 (月) 15:29 (UTC)
- ご連絡ありがとうございました。「手取川大洪水」は大昔に書きかけたものの、その後資料も気力もなく打っちゃっていたものです。地元の歴史なのできちんとした方に編集を引き継いでいただけるととてもありがたいのですが、件のお方はそうでもなさそうですね。--Yama-no-junin(会話) 2022年5月31日 (火) 11:10 (UTC)