近ごろの若い人たちの間では一種の偶像崇拝がはやっている。 ここで偶像とは﹁個性﹂と﹁体験﹂のことである。この2つのものは密接に結びつく。すなわち、個性は体験からなり体験は個性に属すとされるのである。この種の人たちは苦心して﹁体験﹂を得ようとつとめる。なぜなら、それが個性を持つ人にふさわしい行動だからである。 さて、お集まりの諸君!学問の領域で﹁個性﹂を持つのは、その個性ではなくて、その仕事︵ザッヘ︶に仕える人のみである。 このことたるや、なにも学問の領域に限ったことではない。 芸術家でも、自分の仕事に仕える代わりに何かほかの事に手を出した人には、我々の知るかぎり偉大な芸術家は存在しないのである。 自己を滅して専心すべき仕事を、自分がどんな人間であるかを﹁体験﹂で示してやるための手段と思っているような人は学問の世界では間違いなくなんら﹁個性﹂ある人ではない。 — マックス・ヴェーバー、職業としての学問 Wikipediaで自分の項目を編集することほど、愚な行為はありません(これは主観)。