因島水軍城
広島県尾道市の因島にある村上水軍の資料館
因島水軍城︵いんのしますいぐんじょう︶は、広島県尾道市の因島にある村上水軍の資料館。この位置には過去に天守が存在していたことはなく、いわゆる城郭風建築物になる。同敷地内にある﹁尾道市因島史料館﹂についても述べる。
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施設情報 | |
専門分野 | 村上水軍資料 |
開館 | 1983 |
所在地 |
〒722-2211 広島県尾道市因島中庄町3228-2 |
位置 | 北緯34度19分40.8秒 東経133度9分59.0秒 / 北緯34.328000度 東経133.166389度座標: 北緯34度19分40.8秒 東経133度9分59.0秒 / 北緯34.328000度 東経133.166389度 |
外部リンク | https://kanko-innoshima.jp |
プロジェクト:GLAM |
概要
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この地にある標高24mの丘は片苅山と呼ばれる[1]。中世において入江の中にあった岬であり、頂上を本丸とする清原守高の居城・片苅城が置かれており、曲輪・石垣・屋敷跡などが現存しているもののそれ以上の詳細はわかっていない[1]。現在因島水軍城がある地はその片苅城の家老が住んでいた地と伝えられている[2]。現在この敷地は片苅山麓にあり因島村上氏の菩提寺である金蓮寺の境内にあたる[2][3]。
金蓮寺住職が因島村上氏の資料展示および因島の観光地を作ろうと運動を起こしてできたのがこの因島水軍城であり、奈良本辰也が建物監修に入り、1983年︵昭和58年︶開場した[2]。旧因島市が水軍をテーマとした観光業に力を入れ始めたのは1989年︵平成元年︶のことで、ここが開場した後のことになる[4]。地元観光資料では﹁日本唯一の水軍城﹂と謳っている。
また金蓮寺には因島村上家歴代の墓があり市史跡に指定されている。
施設
編集因島水軍城
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奈良本による監修で水軍城をイメージして施設群は造られ、本丸・二の丸・隅櫓からなる[2]。
●本丸:水軍資料館 - 因島村上氏の資料展示。以下貴重な文化財を示す。
●白紫緋糸段威腹巻 附兜眉庇 - 県重文。室町時代末期作の軽武装用鎧。村上吉充が小早川隆景より拝領したと伝わる[5]。
●紙本墨書因島村上家文書 - 県重文。因島の荘園に関する資料で鎌倉時代から戦国時代までのもの。村上氏伝来のものであるがすべて村上氏に関するものではない[6]。
●金蓮寺在銘瓦 - 県重文。村上吉資が宝徳2年︵1450年︶金蓮寺御堂上葺を箆書した丸瓦と棟瓦。箆書とは瓦を焼く前に文字を記すことで、結縁の名から伯耆大山の僧侶のものも記されており当時の交流範囲がわかる[7]。
●二の丸:展示室 - 人形で再現した水軍戦法会議など。
●隅櫓:展望台・パネル展示
尾道市因島史料館
編集利用情報
編集- 開館
- 平常 : 9:30 - 17:00
- 1月2日・3日のみ : 10:00 - 15:00
- 休日 : 木曜日(ただし祝日を除く)、12月29日-1月1日
- 料金 : 大人330円、小人160円(ともに団体割引あり)
- 駐車場50台分
交通
編集脚注
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(一)^ ab“10.片苅城跡”. 因島市(Internet Archives). 2001年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月29日閲覧。
(二)^ abcd“因島水軍城”. 観光情報サイト﹁しまひと﹂. 2016年5月29日閲覧。
(三)^ ab“因島史料館”. 広島県観光. 2016年5月29日閲覧。
(四)^ “花と笑顔に会いに来て”. 中国新聞 (1999年2月21日). 2006年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月2日閲覧。
(五)^ “白紫緋糸段威腹巻”. 広島県教育委員会. 2016年5月29日閲覧。
(六)^ “紙本墨書因島村上家文書”. 広島県教育委員会. 2016年5月29日閲覧。
(七)^ “金蓮寺在銘瓦”. 広島県教育委員会. 2016年5月29日閲覧。
(八)^ “氷河期の象の化石﹁古きをたずねて﹂・・6.因島史料館 千石船機帆船 造船で繁栄築く 村上水軍の航海技術を活かして”. ︵山陽日日新聞から転記︶ (2006年7月2日). 2016年5月29日閲覧。