壬生城(みぶじょう)は、栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城江戸時代には下野国都賀郡壬生藩の藩庁が置かれた。

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壬生城
栃木県
本丸跡の土塁と水堀
本丸跡の土塁と水堀
別名 馬蹄城[1]
城郭構造 平城
築城主 壬生綱重
築城年 1469年 - 1486年(文明年間)
主な城主 壬生氏鳥居氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 土塁、水堀
位置 北緯36度25分39秒 東経139度47分53秒 / 北緯36.42750度 東経139.79806度 / 36.42750; 139.79806座標: 北緯36度25分39秒 東経139度47分53秒 / 北緯36.42750度 東経139.79806度 / 36.42750; 139.79806
地図
壬生城の位置(栃木県内)
壬生城

壬生城

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概要

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14623西西[1]

1469-14862[1]

1590185[1]

1600515[1]

16341125[1]

163916[1]25

16925[1]32

16958[1]25

1712238[1]

殿宿

廃城後

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明治維新での廃城後は、壬生では城跡は壊すのが良しとされ、本丸を残して堀や土塁は消滅して農地や宅地となった。本丸も1927年(昭和2年)に鳥居家の別邸が落雷により焼失後、鳥居家から壬生町へ寄付された。壬生町では公園が計画されていたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に中学校用地として堀と土塁は西側と南側を残して青年団の勤労奉仕により削り埋め立てられ整地された。その後、2度に渡る校庭の拡張により本丸西側の堀と土塁が消滅。1986年(昭和61年)の中学校移転と前後して、1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)まで本丸や二の丸などの発掘調査が断続的に行われたが、あくまで記録保存のためであり、調査後は町立図書館や大ホールを備えた中央公民館、歴史民俗資料館、駐車場に整備された。残りも城址公園として再整備することになり、噴水が造られたほか最後まで残っていた本丸南側の土塁や堀は1989年(平成元年)に整形した石を組み合わせた石垣風に作り変えられ、廃城時の面影はなくなった[2]

遺構

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移築された城門が鹿沼市小山市の民家に残る[3]

2020年(令和2年)に壬生城大手門(現在の足利銀行壬生支店付近)の礎石のうち5基が現存していることが判明。内訳は町内の民家2軒に3基、本丸の精忠神社に2基である。2021年(令和2年)に民家敷地にあった3基が城址公園内の芝生に移設された[4]

脚注

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(一)^ abcdefghij         1979277-278ISBN 4404010117 

(二)^  P2,13-14

(三)^  - 

(四)^   3 202175

関連項目

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