夔州
唐代から元初にかけて、中国に存在した州
概要
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618年︵武徳元年︶、唐により巴東郡は信州と改められた。619年︵武徳2年︶、信州は夔州と改称された。742年︵天宝元年︶、夔州は雲安郡と改称された。758年︵乾元元年︶、雲安郡は夔州の称にもどされた。夔州は山南東道に属し、奉節・雲安・巫山・大昌の4県を管轄した[1]。
宋のとき、夔州は夔州路に属し、奉節・巫山の2県を管轄した[2]。
1278年︵至元15年︶、元により夔州は夔州路総管府と改められた。夔州路は四川等処行中書省に属し、奉節・巫山の2県と大寧州・雲陽州・万州・開州・梁山州・達州・施州の7州を管轄した[3]。
1371年︵洪武4年︶、明により夔州路は夔州府と改められた。夔州府は四川省に属し、直属の奉節・巫山・大昌・大寧・雲陽・万・開・梁山・新寧・建始の10県と達州に属する東郷・太平の2県、合わせて1州12県を管轄した[4]。
清のとき、夔州府は四川省に属し、奉節・巫山・大寧・雲陽・万・開の6県を管轄した[5]。
1913年、中華民国により夔州府は廃止された。