夜汽車 (映画)
夜汽車 | |
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監督 | 山下耕作 |
脚本 |
松田寛夫 長田紀生 |
原作 | 宮尾登美子 |
出演者 |
十朱幸代 秋吉久美子 萬田久子 白都真理 丹波哲郎 津川雅彦 萩原健一 |
音楽 | 津島利章 |
撮影 | 木村大作 |
編集 | 玉木濬夫 |
製作会社 | 東映京都撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 |
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上映時間 | 137分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
キャスト
編集スタッフ
編集製作
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東映が映画化した宮尾登美子原作による﹃鬼龍院花子の生涯﹄﹃陽暉楼﹄﹃櫂﹄は、全て五社英雄監督だったが、岡田茂東映社長が﹁マンネリになってはいかんし、思い切って監督を代えて降旗康男君でやる。そのかわり、五社君は吉原に強いから﹃吉原炎上﹄を撮らせる。このテの女性路線は年に一本か二本、大事に扱って温存してゆく。アダルト狙いじゃ、相当強烈なものをやらなかったら当たらない﹂などと話し、監督を交代させた[7]。監督は降旗ではなく山下耕作になった。
脚本
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原作が短編のため、脚色段階でそこから膨らませて物語を構築したが、宮尾登美子が自身が描いた人物像と食い違いがあるとクレームを付けた[3]。結局、﹁シナリオは非常に良く出来ている﹂と宮尾が納得し了解を得た[3]。
撮影記録
編集1986年8月27日、東映太秦映画村にてクランクイン[3]。
自衛隊舞鶴病院で診療所のシーンの撮影が行われた。
製作費
編集興行
編集作品の評価
編集興行成績
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東映内部では﹁脚本も演出も役者も全部いい﹂などと、作品はよく仕上がっていると評されたが[1][4]、﹃鬼龍院花子の生涯﹄のような派手さがなく[4]、小品で興行は厳しいのではという見方をされた[4]。日下部五朗は﹁試写を観た岡田社長が涙し、﹃ケッサクタンジョウ!﹄と私に電報を打って来たが、お客は入らなかった﹂と話している[1]。鈴木常承東映営業部長は﹁1986年秋のアダルト三番組としてセットでプロモーションを展開した﹃化身﹄﹃道﹄﹃極道の妻たち﹄が予想以上の大ヒットを記録した勢いのまま、まんがまつりと合わせて健闘し﹃スケバン刑事﹄まで勢いを繋げた﹂と評している[4]。
批評家評
編集いま一つ[8]。
受賞歴
編集出典
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(一)^ abc日下部五朗﹃シネマの極道 映画プロデューサー一代﹄新潮社、2012年、161頁。ISBN 9784103332312。
(二)^ “夜汽車”. 日本映画製作者連盟. 2020年1月2日閲覧。
(三)^ abcdefgh﹁製作ニュース 東映、宮尾文学4度目の映画化 山下耕作監督﹃夜汽車﹄﹂﹃映画時報﹄1986年10月号、映画時報社、32頁。
(四)^ abcde高岩淡(東映専務取締役)・鈴木常承(東映・常務取締役営業部長)・小野田啓 (東映・宣伝部長、役員待遇)、聞き手・北浦馨﹁誌上・特別座談会 東映"87"へ快進撃開始﹂﹃映画時報﹄1987年4月号、映画時報社、14頁。
(五)^ abcde﹁宮尾文学4度目の映画化 十朱、秋吉、萩原競演﹂﹃映画時報﹄1986年11月号、映画時報社、19頁。
(六)^ ﹁グラビア 競艶-スクリーン速報 ﹃蚊帳の中で十朱の乳房が弄ばれ騎乗位の白都の肌が朱に染まる… 新藤恵美、速水典子も加え、東映映画﹃夜汽車﹄で競った、新春・艶事始めヌード﹂﹃週刊宝石﹄1987年1月2/9日号、光文社、3-6頁。
(七)^ 文化通信社 編﹃映画界のドン 岡田茂の活動屋人生﹄ヤマハミュージックメディア、2012年、208頁。ISBN 9784636885194。
(八)^ ab平塚英治﹁記録編 邦画配給界 東映﹂﹃映画年鑑 1988年版(映画産業団体連合会協賛)﹄1987年12月1日発行、時事映画通信社、101–102頁。
(九)^ “正月映画初夢の皮算用、トップガン、35億円狙う―”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 16. (1986年12月9日)