大橋宗古
江戸時代の日本の将棋指し
経歴
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寛永11年︵1634年︶、名人就位。宗古は当時59歳。彼の世襲により家元制が確立。彼の手により、弟の宗与を祖とする大橋分家、娘婿の伊藤宗看を祖とする伊藤家が始まる。以後、江戸幕府が倒れるまで、大橋本家をあわせたこの三家から名人を出すことになる(詳しくは﹁名人 (将棋)﹂の項を参照)。
宗古時代の将棋家元の権威は低く、松本紹尊や萩野真甫、檜垣是安といった在野棋客からの挑戦が相次いだが、老齢の宗古に代わって娘婿の初代伊藤宗看が対戦し、家元の権威を守った。
1654年︵承応3年︶に79歳で死去。名人位は初代伊藤宗看が、大橋本家は三代大橋宗桂が継いだ。1660年︵万治3年︶、三代大橋宗桂が48歳で死去、その子である四代大橋宗伝も1662年︵寛文2年︶に25歳で死去し、大橋本家は断絶の危機を迎えたが、初代宗看の子で二代宗古の外孫にあたる宗銀が大橋本家を継承し、五代大橋宗桂となり存続した。
宗古の棋譜
編集著書・功績
編集著書に「象戯図式」(俗称:将棋智実)「象戯手引草」「将棋経妙」など。
「象戯図式」の巻末でルールを成文化する。
このルールは基本的に現在に受け継がれているが、千日手については後にルールが複数回改定されている(詳細は千日手を参照)。
関連項目
編集参考文献
編集茶屋軒三・西條耕一「江戸の名人」(『将棋世界』2011年4月号162-165頁、2011年5月号94-98頁、2011年6月号154-158頁掲載の回を主に参照)
外部リンク
編集- 大橋家の紹介(関西将棋会館ホームページ) - ウェイバックマシン(2014年6月25日アーカイブ分)
- 詰将棋博物館-「将棋智実」が鑑賞できる。