奥村有輝
日本の江戸時代中期の武士。加賀藩年寄奥村時成の子で、加賀八家奥村宗家6代当主。従五位下伊予守
奥村 有輝 (おくむら ありてる、延宝7年〈1679年〉 - 享保15年12月5日〈1731年1月12日〉)は、加賀藩年寄。加賀八家奥村宗家第6代当主。
来歴
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父は加賀藩年寄奥村時成。母は横山忠次の娘。通称平次郎、伊予。正室は横山任風の娘。養子は奥村有定。官位は従五位下伊予守。
延宝7年、加賀藩年寄奥村時成の子として金沢に生まれる。元禄6年︵1693年︶、父時成の死去により家督相続する。元禄14年︵1701年︶7月、人持組頭となる。正徳元年︵1711年︶12月、従五位下伊予守に叙任される。正徳2年︵1712年︶、藩主前田綱紀の娘直姫が二条吉忠に嫁ぐ際に、御輿渡役を務める。享保6年︵1721年︶、金沢城代。享保10年︵1725年︶、藩主前田吉徳の長男勝丸︵第7代藩主前田宗辰︶誕生の際に蟇目役を務める。享保11年︵1726年︶、公儀御用︵宗門方御触︶。享保14年︵1729年︶、藩主吉徳の次男亀次郎︵第8代藩主前田重煕︶誕生の際に蟇目役を務める。享保15年︵1730年︶、流行していた麻疹に罹り、12月5日没。享年52。家督は養子の有定が相続した。
参考文献
編集- 東京大学史料編纂所「加賀藩史料」