安藤矩子
安藤 矩子(あんどう のりこ)は、1963年(昭和38年)の『ミス・ジャパン』である。日本代表としてミス・ユニバース世界大会に出場、「トップ15」に入賞した。
人物
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宮城県出身。宮城県涌谷高等学校卒業[1]。
1958年︵昭和33年︶、日本劇場︵東京︶の日劇ダンシングチームに第14期生として入団、舞台などに出演していた[2]。同舞踏団は1963年︵昭和38年︶4月末に退団、その直後にミス・ユニバース日本代表に選出された。当時は22歳で身長165センチメートル︵cm︶、体重53キログラム︵kg︶、スリーサイズは85-55-90 cmであった[3]。
安藤は同年7月にアメリカのマイアミビーチで開催されたミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場、セミファイナルに進出して﹃トップ15﹄入賞の結果を残した[4]。帰国後は会ったこともない男性からプロポーズされたり婚姻届けが送られてきたりもした。女優やモデルのオファーもあったが、派手なことは好きではない、と姉の幼馴染である今の夫︵バス会社に務めていたサラリーマン︶と結婚。3人の子供をもうけた[5]。
2008年︵平成20年︶、67歳で健在、6人の孫があり、夫は仙台市郊外で泉ヶ岳スキー場を経営する泉ヶ岳総合観光開発の代表となっていることが報じられている[5][6]。
脚注
編集出典
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(一)^ “町の歴史”. 涌谷町. 2017年1月5日閲覧。
(二)^ ﹃日劇春のおどり﹄東宝株式会社、1958年、5頁。2019年3月30日閲覧。
(三)^ ﹁ミス・ユニバース代表に安藤さん﹂﹃中部日本新聞﹄、1963年5月23日、13面。
(四)^ “MISS UNIVERSE 1963”. Pageantopolis. 2012年2月7日閲覧。
(五)^ ab週刊新潮 2008, p. 54.
(六)^ “泉ヶ岳スキー場 (宮城県 仙台市 スキー スノーボード バーベキュー いも煮 花見 紅葉 ハイキング スキー場)”. 泉ヶ岳総合観光開発株式会社. 2015年2月28日閲覧。
参考文献
編集- 「大女優も殺人犯もいる「ミスコン100年」美女たちの栄光と転落」『週刊新潮』第53巻第11号、新潮社、2008年3月20日、52-55頁、ISSN 0488-7484、NAID 40015899904。
外部リンク
編集- Noriko Ando, Miss Universe contestant of Japan, visits L.A. Sporting Goods, Los Angeles, California, August 3, 1963 - Japanese American National Museum