官生(かんしょう)とは、琉球王国において王命により中国)の国子監に派遣された留学生。後の官費留学生に該当する。

概要

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1392251869824771008178

424


はじまり

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明国代の1372年(洪武5年)、三山鼎立時代の琉球において時の中山王察度が明に通じたのを契機として他の二山王も明へ進貢してより20年後、1392年洪武25年)に中山、南山両国王が王子及び陪臣の子弟を太学へ入学させたのが官生の初めと言われる。

尚真王時代

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317148111

261393120[1][2]

尚温王時代以前

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18[3]

231758[1]27

官生騒動

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発端

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1796212314236

719

顛末

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81214[1]

94

[4]

尚温王時代以後

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18005[5]62410

脚注

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(一)^ abc

(二)^ 

(三)^ 16173516072

(四)^ 

(五)^ 使

参考文献

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  • 阿波根朝松「官生」「官生騒動」(『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社、1983年))
  • 伊波普猷「官生騒動に就いて」(『古琉球(改版)』、青磁社、昭和17年、所収)