主体と客体

古代から用いられている哲学用語の一つ
客体から転送)

ここでは主体と客体(しゅたいときゃくたい)および主観と客観: subject and object)について説明する[注釈 1]

概説

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これらの用語や概念がどのような経緯で用いられ、指す内容がどのように変化してきたかについて、これまで現代人の哲学的知識とは異なることが起きてきた。そこで順を追って解説する。

古代から近代初頭

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アリストテレスの段階

: ποκείμενον :Hypokeimenon   + [1]antikeimemon[1]antikeimenon[1]Περ Ψυχς 使[1]hypokeimenonantikeimemon[1]



hypokeimenonsubjectumsubstratumsubstantiasuppositum[1]antikeimemonopposita[1]antikeimemonobiectum使 subjectumobiiectum[1]

subiectumobiectivus

hypokeimenonsubiectum[1][1]subiectum[1]

obiectivusantikeimenonobiectivusquod obiicitur intellectui [1]

realitas obiectiva  realitas actualis realitas formalis[1]

subiectumobiectum[1][1]subiectumobiectumSubjektObjekt[1]

近代初頭以降

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subject



)(ego(idea)(subject)

subjectsubjectsubject

object

object


2





2









沿 Dinge an sich

用語法

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客観的実在と主観的実在

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客観的知識と主観的知識

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客観的知識とは、文字通り客観的実在に関する知識である。これに対して、主観的知識とは、主観的実在に関する知識である。

他方で、別の用法によれば、主観的知識とは、ある個人の主観的状態に関する知識である。このような知識は、他者の主観的状態に関する知識から区別され、また当然に、客観的知識からも区別される。このような定義の下では、他者の主観的知識も客観的知識に属する。なぜなら、他者の主観的状態は私の主観的状態から独立しているからである。つまり、他者の主観的状態は、それが私の知覚に依存していないという意味で、私から見れば客観の一種である。

最後に、最もよく知られている用語法は、ある主張が有する論拠との関連で用いられ、この場合には、客観的知識とは十分に根拠付けられた知識を言い、反対に主観的知識とは不十分にあるいはほとんど根拠付けられていない知識を言う。客観的に強力な論拠に支えられた判断や信念は、客観的判断ないし客観的信念とも言われ、理性的存在一般にとって満足のいく証拠にもとづいている。これに対して、主観的判断ないし主観的信念とは、理性的存在一般が納得するわけでないような証拠にもとづくものである。これには、必然的に特定の人物(単・複)にしか利用可能でない証拠にもとづくものも含まれる。

特殊な用語法

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Point-of-view shot

脚注

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注釈

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(一)^  

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『岩波 哲学・思想事典』pp.734-735【主観】

関連項目

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外部リンク

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