覲子内親王

平安時代後期の皇族、女院。後白河天皇の六女。内親王、准三后
宣陽門院から転送)

10511811113- 4681252715
覲子内親王
続柄 後白河天皇第六皇女

全名 覲子(きんし)
称号 宣陽門院
身位 内親王准三后
出生 養和元年10月5日1181年11月13日
死去 建長4年6月8日1252年7月15日)(享年72)
父親 後白河天皇
母親 高階栄子
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生涯

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1211[1][1]

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31251西西[5]

4125272

脚注

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注釈

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  1. ^ 松薗斉は鎌倉幕府の軍事力をもってしても天皇の廃位や皇統のすげ替えを実施するのは困難であるため、仲恭天皇の廃位と守貞親王(後高倉院)の皇統成立に際し、覲子からの協力を得ていたと推測している[2]
  2. ^ 後堀河天皇の最初の中宮であった三条有子の外祖母は覲子の異父姉(平業房女・藤原範能室)とみられるため、その入内も覲子の意向と推測される[1]

出典

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  1. ^ a b 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P87-89.
  2. ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P85.
  3. ^ 高橋一樹「六条殿長講堂の機能と荘園群編成」高橋昌明 編『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣、2006年)
  4. ^ 白根陽子『女院領の中世的展開』(同成社、2018年) ISBN 978-4-88621-800-1 P69-71.
  5. ^ 白根陽子『女院領の中世的展開』(同成社、2018年) ISBN 978-4-88621-800-1 P75-77・118-120.