宮城篤実
略歴
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●8歳の時に沖縄地上戦を体験。沖縄本島北部に疎開し、宜野座村で米軍に投降する[1]。
●戦後は石川市︵現・うるま市︶に移転。石川高等学校︵現在の沖縄県立石川高等学校︶卒業。その後名護市内の英語学校に入学するが、間もなく上京し早稲田大学に入学。早大在学中は、学生運動のリーダーとして活躍[2]。
●大学卒業後、労働問題の業界紙記者を務めた後、1967年帰沖。
●1973年から4期連続で嘉手納町議会議員を務める。町議会議長も歴任。
●1991年、嘉手納町長に初当選。以後、2009年現在、5期連続で当選を果たす。町長に当選した際のスローガンは﹁よみがえれ嘉手納﹂。
●沖縄県町村会長、全国町村会常任理事。沖縄振興審議会委員、中央教育審議会委員なども務める。
●平成23年2月17日に嘉手納町長を任期満了により退任︵平成3年から5期20年務めた︶。