宮川智之助佐衛門
宮川智之助佐衛門(みやがわのともゆきすけざえもん)とは伊豆国賀茂郡(静岡県松崎町)を本拠とした江戸幕府の世襲代官である。智之助佐衛門とは宮川家の代々の当主の通称である。
系譜
編集著名な「宮川智之助佐衛門」
編集
宮川智義
30代当主。智良の子。一般には宮川智之助佐衛門といえば彼を指すことが多い。蘭学の導入に尽力し、民政の整備に実績を挙げる。
宮川智常
32代当主、1831-1855。智政の次男。農兵隊の育成、編成などを行うが若くして病死。
宮川智行
33代当主、1855-1924。智常の三男。明治維新のときの当主。岩倉使節団に随行、留学。その後は地域教育に尽くし、本の執筆などを行う。
交流
編集伊豆国田方郡の江川太郎左衛門との交流があったことで知られている。 民政に関しても、彼を参考にしていたことが多いようである。