宮水
由来
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天保8年︵1837年︶、一説には天保11年︵1840年︶、櫻正宗の六代目蔵元であった山邑太左衛門︵やまむらたざえもん︶が摂津国西宮︵現兵庫県西宮市︶で発見したとされる。山邑太左衛門は西宮と魚崎︵現神戸市東灘区︶で造り酒屋を営んでいたが、双方で造る酒は、他の工程をすべて同じにしても味が異なった。西宮で造る酒の良質な味の原因について、彼は﹃同地にある梅ノ木蔵の﹁梅ノ木井戸﹂の水にある﹄と結論した。これを以て﹁宮水の発見﹂としている。
当初、﹁西宮の水﹂と言っていたが、やがて略されて﹁宮水﹂と呼ばれるようになった。
以後、灘の酒蔵は競ってこの地の水を使うようになったが、井戸を掘っても同じ水脈に当たらない酒蔵もあった。そのため、造り酒屋でなくても井戸を掘れば同じ味の水が出る地域の農民らが、井戸を掘り、そういう酒蔵に宮水を売るようにもなった。西宮に特有のこの商売をさして﹁水屋﹂といった[1][2]。
成分
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梅ノ木井戸の近くを流れる夙川の伏流水と、六甲山の花崗岩を通り抜けてきた水に、塩分を含んだ海水が微妙にまじりあって湧いた水と考えられる。水質は、ドイツ硬度で8°dH前後の中硬水で、軟水の多い近畿地方では珍しい︵日本国内では関東地方の水に近い硬度である︶。
宮水に多く含まれるミネラル成分︵カルシウム・カリウム︶およびリンは、麹や酵母の栄養分となり酵素の作用を促進する。また酒造りの水には少量の塩分の含有が好まれるが、宮水は塩分も多い。
逆に酒造りに害となる鉄分は、宮水では0.001ppmと少ない︵鉄分は酒の色や味の仕上がりを損なう。一般的に日本の水の鉄分含有量はだいたい0.02ppm程度︶。
このように宮水が酒造りには理想的な有効成分を含むことは多くの点から説明できるが、現代の科学を以てしてもなおも、なぜ宮水がそれほどまでに酒造に好適であったのか解明されていない部分も残っている。
歴史
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幕末以後、宮水は昭和時代初期までに﹁播州米に宮水、丹波杜氏に六甲颪︵ろっこうおろし︶、男酒の灘の生一本﹂の名声を得る上で欠かせない原料となった。
しかし、昭和中期以降に高度経済成長の時代を迎え、西宮も阪神工業地帯の真っ只中にあることから宮水の汚染が危惧された。この時期の何回かの調査で水質の汚濁があったことも判明し、酒郷組合等は宮水保全のための努力を継続して行ってきた。組合加盟蔵の中には大メーカーも含まれており、行政や企業に対しても同等の発言力を有していることから、行政や企業もそれなりの対応を迫られたと思われる。例えば、阪神高速3号神戸線の橋脚は宮水地帯付近では間隔が極めて広く取られたほか、阪神西宮駅高架化の際にも影響がないかを確認するために少しずつ工事を進めては水質に影響が出ていないか確認を繰り返したため、着工から完成まで20年以上も要する[3]など、宮水の保全と産業発展の両立が図られている。その結果、阪神工業地帯の真ん中に位置するにもかかわらず、奇跡的な保全状態が保たれ、環境省の名水百選にも選ばれた。
脚注
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(一)^ “灘の酒造業、14宮水と水屋”. 神戸市文書館. 2019年3月11日閲覧。
(二)^ “宮水|灘の酒用語集”. 灘酒研究会. 2019年3月11日閲覧。
(三)^ “踏切事故で高まる立体交差化の要望 実現までの道のりは”. NEWSポストセブン (小学館). (2019年9月23日) 2019年10月7日閲覧。