寝覚の床
長野県木曽郡上松町にある景勝地
(寝覚ノ床から転送)
寝覚の床(ねざめのとこ)は、長野県木曽郡上松町にある景勝地。日本五大名峡の一つ[1]に数えられ、国の名勝にも指定されている。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f9/Nezame_no_toko_2.jpg/220px-Nezame_no_toko_2.jpg)
概要
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木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた自然地形である。1923年︵大正12年︶3月7日に国の名勝に指定された。かつては急流であったが、上流に設けられた木曽ダム︵1968年に運用開始︶などにより水位が下がったために、水底で侵食され続けていた花崗岩が現在は水面上にあらわれている。水の色はエメラルドグリーンである。
中山道を訪れた歌人等によって歌にも詠まれ、長野県歌﹁信濃の国﹂の4番にも﹁旅のやどりの寝覚の床﹂とうたわれている。
寝覚の床の中央にある﹁浦島堂﹂は、弁才天像を残したといわれている[要検証]。一方、上松町臨川寺の縁起によれば、その弁才天像を祀ったのが当の寺であるという[注釈1][2]。
周囲は公園として整備されている。また川沿いの高所を走るJR中央本線の列車の車窓からも一望できる。中央西線の特急﹁しなの﹂では、列車によっては車掌が近くを通過する際にアナウンスをしたり、乗客に景色を堪能してもらうために列車の速度をやや落として運転したりすることもある。
地質
編集三返りの翁
編集浦島太郎伝説
編集―歌川国芳画、「福島宿」、『木曾街道六十九次』。
この地と浦島太郎を結びつけた古い記録としては、沢庵和尚が﹃木曾路紀行﹄で﹁浦島がつり石﹂なる岩に言及している[7]。
貝原益軒も﹃木曾路之記﹄において、貞享2年︵1685年︶の旅中に﹁浦島がつりせし寝覚の床﹂を見聞したと記している。(ただし浦島がこの地に来た事実については懐疑的である) [7]。
浦島太郎が竜宮城から帰ってきたのち、この寝覚の地で暮らした次第をありありと描いた伝説も作られている。
臨川寺 (上松町)建立の由来を語る﹃寝覚浦嶋寺略縁起﹄によれば[注釈1]、浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここであるいは釣りを楽しみ、霊薬を売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち玉手箱を開けてしまい、齢300年の老人と化してしまった。天慶元年︵938年︶この地から姿を消したという[2]。
以上の﹃略縁起﹄の伝説は、現存最古のものでも宝暦六年(1756年)改版本であるが[8][注釈4]、おおまかな伝説としては、近世初頭以降に語り継がれてきたものと考えられる[2]。
また巷説によれば、浦島太郎には、今までの出来事がまるで﹁夢﹂であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を﹁寝覚め﹂、岩が床のようであったことから﹁床﹂、すなわち﹁寝覚の床﹂と呼ぶようになったという[9][10]。
ある頃をさかいに[注釈5]、寝覚の床の浦島太郎と前述の三返りの翁は同一視されるようになっていた[11]。﹃略縁起﹄にもやはり、浦島太郎が﹁見かへりの翁﹂と呼ばれていたことが記されている。こちらの場合は、浦島が人々に霊薬を売っていたゆえに﹁見返り﹂の老人と呼ばれたと釈明されている[12]。
古浄瑠璃﹁浦嶋太郎﹂の舞台も上松の宿場で、浦島太郎は、海から遠い山中の木曾山中に住み、木曾川で釣り糸を垂らして暮らしていたとする。
その他
編集- 木曽ダム建設時には景観保存が問題となり、1965年(昭和40年)関電が上松町に対し3,990万円の一時補償を行ない、異議求償を求めない契約が結ばれた。
画像解説
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周辺環境
下はJR中央本線
交通
編集周辺
編集注釈
編集出典
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(一)^ “櫻橋︵さくらばし︶”. 広島県土木建築局道路企画課 (2015年3月11日). 2020年5月13日閲覧。
(二)^ abcd島居 (1992), pp. 37–38.
(三)^ abcdef若狭幸, 森口有里, 松崎浩之 ほか、﹁宇宙線核種濃度から推定される木曽川上流寝覚ノ床における下刻速度 ﹃季刊地理学﹄ 2008年60巻2号 p.69-76, doi:10.5190/tga.60.69
(四)^ 島居 (1992), p. 3940
(五)^ 島居 (1992), pp. 39–40.
(六)^ 林晃平﹁蜃気楼と浦島太郎--海上の龍宮のイメージとその周辺・覚書﹂︵PDF︶﹃苫小牧駒澤大学紀要﹄第20号、苫小牧駒澤大学、2009年3月、9-30(p.25)、ISSN 13494309、NAID 40016740390“国芳..﹁福島﹂は..木曽の山の中で浦島太郎が描かれる所以は、寝覚床があるからである”
(七)^ ab島居 (1992), pp. 36–37.
(八)^ 林 (1999), p. 89.
(九)^ はまみつを 編﹃信州の民話伝説集成 中信編﹄一草舎、2006年、398頁。
(十)^ ﹁長野県に浦島太郎伝説があるらしい。どんな伝説なのか知りたい。﹂︵上田情報ライブラリー︶ - レファレンス協同データベース
(11)^ 島居 (1992), p. 40.
(12)^ 島居 (1992), pp. 37–38, 40.
参考文献
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●鳥居フミ子﹁木曾に蘇った浦島太郎(秋山虔教授記念号)﹂﹃日本文學﹄第77号、東京女子大学、1992年3月、32-43頁、CRID 1050845762588563584、ISSN 03863336、NAID 110007184905。
●林晃平﹁浦島寺略縁起の変貌をめぐり﹂︵PDF︶﹃苫小牧駒澤大学紀要﹄第1号、苫小牧駒澤大学、1999年3月、89-116頁、CRID 1520853835395017728、NAID 40005246198“国立国会図書館インターネット資料収集保存事業”
関連項目
編集外部リンク
編集- 寝覚の床とは - 上松町観光協会
- 文化遺産データベース(文化庁)
座標: 北緯35度46分21.53秒 東経137度41分58.02秒 / 北緯35.7726472度 東経137.6994500度