山田 検校(やまだ けんぎょう、1757年6月14日宝暦7年4月28日) - 1817年5月25日文化14年4月10日))は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した筝曲音楽家である。筝曲山田流の祖として知られている。本姓は三田。諱は斗養一。号は勝善、幽樵等。山田は母方の旧姓。

山田検校の座像

経歴・人物

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逸話

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当時活躍していた人形浄瑠璃師の式亭三馬の作品『浮世風呂』や山東京山及び松浦静山の作品に山田の逸話が登場する。

主な作品

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代表的な筝曲

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  • 『小督曲』
  • 『熊野』
  • 『長恨歌曲』
  • 『葵上』

以上の作品は「四つもの」と呼ばれている。

その他の筝曲

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  • 『紀の路の奥四季の段』
  • 『八重垣』
  • 『那須野』
  • 『桜狩』
  • 『住吉』
  • 『江ノ島曲』

等36曲もの作品を作曲したといわれている。

主な弟子

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出典

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外部リンク

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