岐阜大仏
岐阜県岐阜市の正法寺にある仏像
概要
編集
釈迦如来の坐像で、日本三大仏のひとつとされる[4][5]。江戸時代後期に塑像漆箔で造られた、日本最大級の乾漆仏とされる[6]。
像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36m。
周囲6尺︵約1.8m‥直径約57cm︶のイチョウの木を真柱として、木材で骨格を組み、竹材を編んで仏像の形を形成する。この竹材の上に粘土を塗り、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて漆を塗り、金箔を張っている。経典は当時の住職が読経し、一枚一枚貼られている。籠を編むように造られたことから、別名を﹁籠大仏︵かごだいぶつ︶﹂という。岐阜大仏に使われた経典は四万巻に上るとされる[7]。
建立の経緯
編集
江戸時代後期の寛政の頃、金鳳山正法寺の第11代惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために、大釈迦如来像の建立をはかる。1791年︵寛政3年︶頃から、大仏に使用する経本を集めだすが、思うように集められず、各地を托鉢してひたすら集める。1800年には堂が完成。その時には大仏の頭部のみが完成していた。1815年︵文化12年︶、惟中は志の半ばで亡くなる。暫く中断したが、第12代肯宗和尚はその後を継ぎ、引き継いで13年後の1832年︵天保3年︶4月、遂に大釈迦如来像は完成する。つまり建立に38年かかったことになる。胎内仏として、薬師如来像が安置されている。この薬師如来像は、室町時代に美濃国厚見郡革手︵現在の岐阜市正法寺町︶の革手城の城下にあった、土岐氏の氏寺である霊正山正法寺︵現在は廃寺︶の本尊である。平安時代の円仁︵慈覚大師︶作との伝承がある。
開眼供養の際には、織田信長居住以来の盛儀だったと伝えられている。
拝観
編集- 所在地:岐阜県岐阜市大仏町8
- 開館日:年中無休
- 開館時間:9:00~17:00
- 拝観料:大人 200円、小人 100円
- 駐車場:あり
交通アクセス
編集周辺
編集ギャラリー
編集脚注
編集
(一)^ “籠大仏附胎内仏”. 岐阜県文化伝承課. 2022年4月21日閲覧。
(二)^ “﹁信長公のおもてなし﹂が息づく戦国城下町・岐阜”. 日本遺産ポータルサイト. 文化庁. 2020年9月20日閲覧。
(三)^ ﹁日本遺産﹂18件認定 文化庁、旧弘道館や四国遍路など、日本経済新聞、2015年4月24日
(四)^ ぎふ大仏フェスティバル実行委員会 - ウェイバックマシン︵2019年1月23日アーカイブ分︶、岐阜市公式ホームページ、2018年8月17日
(五)^ 岐阜大仏︵正法寺︶、公益財団法人岐阜観光コンベンション協会
(六)^ 岐阜︶大仏を3Dスキャン ミニチュアもVRも可能に、朝日新聞デジタル、2020年5月28日
(七)^ “正法寺︵岐阜大仏︶”. 全国ロケーションデータベース. 文化庁. 2022年4月21日閲覧。
(八)^ 正法寺付近の道路が一方通行規制のため、上りと下りではバス停の位置が違う。
(九)^ 岐阜大仏へ、岐阜バスグループ
参考文献
編集- 重要文化的景観 長良川中流域における岐阜の文化的景観 重要な構成要素(建築物)正法寺、岐阜市公式ホームページ
外部リンク
編集- 黄檗宗 金鳳山正法寺 大仏殿
- 正法寺大仏殿、岐阜大仏を透視する Re-visiting Shoboji/Great Buddha of Gifu - YouTube、岐阜市公式チャンネル
- 岐阜大仏、JAPAN WEB MAGAZINE
- 岐阜大仏・正法寺 (the3rdGreatestBuddha) - Facebook