岩国のシロヘビ
山口県岩国市に生息する白蛇
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白色の理由
編集シロヘビについて
編集天然記念物指定
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●白ヘビが天然記念物に指定されたのは、1924年︵大正13年︶12月9日。当初は﹁白ヘビ生息地﹂として、今津地区︵今津町︶、麻里布地区︵山手町など︶および川下地区︵旭町など︶が生息地域として指定されたが、1972年︵昭和47年︶8月4日に﹁岩国のシロヘビ﹂という名称で生物としてのシロヘビ自体への指定替えとなった。
●岩国市の中でも横山地区、今津町、山手町、旭町、車町、尾津町などで見られる。
●アオダイショウのアルビノ自体は、岩国市以外の日本各地からも報告されている。ただし、それらは自然界で累代繁殖した実績のあるものではない為、天然記念物の扱いにはならない。
シロヘビの歴史
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●シロヘビが目撃されたもっとも古い記録は、﹃岩邑年代記﹄︵がんゆうねんだいき︶にある、1738年︵元文3年︶に横山地区の千石原にあった吉川邸の城門付近での、門番による捕獲記録である。
●﹃錦川志﹄︵にしきがわし︶の1862年︵文久2年︶の年に関する記述には、錦川下流にあたる、現在は山口県道113号南岩国停車場磯崎線の一部として今津川に架かる橋︵寿橋︶の一帯にあった、岩国藩の米倉に2頭のシロヘビが棲みついており、よく見かけるとある。
●この後、シロヘビは、今津地区の寿橋にあたる一帯に設置されていた岩国藩や毛利藩の米倉の米を狙うネズミを餌にして、繁殖していった。
●1897年︵明治30年︶頃には、今津、川下、麻里府、室の木の各地区等、合わせて400ヘクタールの地域に棲んでいるといわれた。
●1925年︵大正14年︶には、上記地域に1,000頭程度が棲んでいるといわれた。
●1970年︵昭和45年︶頃までは、今津川寿橋周辺や、今津地区の対岸となる川下地区でよく姿を見かけた。
シロヘビの現在
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●生息域内の都市化が進み、米倉、水路、石垣といったシロヘビの棲みかが次第になくなり、また、餌となるネズミが1945年︵昭和20年︶以降、伝染病対策として薬剤駆除の対象となったため、天然のシロヘビはその個体数を減らしている。そのため、1965年︵昭和40年︶3月以降、岩国市内の6か所にシロヘビの繁殖育成施設等を設けるなどの、保護策を講じている。保護活動の主体は、岩国市および一般財団法人岩国白蛇保存会である。
●保護活動の庇護下︵繁殖育成施設等の管理下︶にあるシロヘビの数は、2005年︵平成17年︶6月の時点で943匹。毎年の平均で1,000匹前後であったが、2008年には782匹と減ってしまった。2009年、原因不明の胃腸炎の流行により24匹のシロヘビの死亡が確認された。
シロヘビ観光
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5b/Shirohebi_Jinja_2.jpg/200px-Shirohebi_Jinja_2.jpg)
伝承
編集脚注
編集- ^ “「岩国のシロヘビ」施設所在地並びに生息地” (日本語). 一般財団法人岩国白蛇保存会. 2024年6月18日閲覧。
出典
編集「シロヘビの歴史」および「シロヘビの現在」の節について:
- 『小・中学生のための白蛇教室テキスト』財団法人岩国白蛇保存会・作成(白蛇資料館にて配布のパンフレット)
- なお、パンフレット自体の参考文献は、
- 『週刊日本の天然記念物「岩国のシロヘビ」』小学館
- 『日本の両生爬虫類』平凡社
- 本百科事典
- なお、パンフレット自体の参考文献は、
- 白蛇資料館の館内掲示資料