岩田三史
経歴
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埼玉県北足立郡川口町[1]︵現在川口市[1]︶で、川口屈指の大地主[1]・岩田武三郎、いよ の長男として生まれた[2]。浦和中学校︵現埼玉県立浦和高等学校︶、第四高等学校第三部を経て[1]、1919年︵大正8年︶九州帝国大学医学部を卒業[1]。同医学部副手、東京帝国大学医学部細菌学教室研究生となり、医学博士号を取得した[1]。その後、帝国女子医学薬学専門学校︵現在の東邦大学︶教授、額田内科病院副院長を務めた[1]。
1931年︵昭和6年︶6月4日、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され[3]、1932年︵昭和7年︶9月28日まで在任[4]。1933年︵昭和8年︶4月1日に川口市が成立すると、初代市長に選出され同年6月12日に就任し、市章の制定、新町名の決定、第1回学校体育祭の開催、市広報紙の発行などを推進し、1934年︵昭和9年︶10月7日に市長を退任[5]。1939年︵昭和14年︶9月29日、貴族院多額納税者議員に再度就任し[6]、交友倶楽部に所属して1946年︵昭和21年︶4月13日まで在任した[4][7]。その後、公職追放となる[8]。
その他、埼玉新聞社社長を務めた。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。