岸本由豆流
1789-1846, 江戸時代後期の国学者
人物
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寛政元年︵1789年︶、伊勢国朝田村において生まれる[2][3]。朝田某の子という[2]。後に、幕府弓弦師・岸本讃岐の養子となり、岸本大隅と称した[2][3]。
国学者・村田春海の門に入り、国学を学ぶ[2][3]。早くに家業の弓弦師を長男に譲って退隠し、考証・著作に専念したという[2][3]。著書に﹃万葉集考証﹄﹃土佐日記考証﹄﹃後撰集標注﹄などがある[2][3]。蔵書が3万巻に及んだという典籍の収集家でもあった[2][3]。
晩年は、浅草聖天町に住み、狩谷棭斎、市野迷庵、村田了阿、北静盧らと交友した[2]。弘化3年︵1846年︶閏5月17日、死去[2][3]。浅草の誓願寺塔頭林宗院に葬られた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 清宮秀堅『古学小伝 巻2』(玉山堂,1886)
- 三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典』(三省堂,改訂版,1990)
関連文献
編集- 藤岡忠美「「和泉式部集標注」と岸本由豆流」国語国文研究21号(北海道大学国語国文学会,1962-03)