帝国クライス
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「クライス(Kreis)」という言葉は、現在も行政単位として用いられており、日本語では一般に「郡」と訳されている。ただし、本項での「クライス」はすべて帝国クライスを意味する。
概要
編集帝国クライス制度の成立
編集成立まで
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Albrecht_D%C3%BCrer_082.jpg/160px-Albrecht_D%C3%BCrer_082.jpg)
成立初期
編集対オスマン帝国軍編成とミュンスター占拠事件
編集権限の拡充
編集帝国執行令に向けて
編集帝国執行令で規定されたクライス制度
編集帝国執行令とは、アウクスブルク帝国議会最終決定の31条から103条の73箇条をいう。以下、( )内は条文の番号を示す。
平和破壊活動への対処
編集小規模の平和破壊活動への対処
編集近隣クライスの協力
編集さらに大規模な破壊活動への対処
編集クライスの組織
編集クライスの組織として、長官(Oberst)、補佐官(Zugeordnete)、公示事項担当諸侯(Kreisausschreibenamt)が登場する。
長官・補佐官
編集各クライス1名が等族により長官に選出される。長官は、必要に応じて数名の補佐官を任命できる(56条)。長官が1人で職務を遂行できない場合は、代理を任命することができる(58条)。長官自らが平和破壊活動を行った場合あるいは職務不履行の場合は補佐官のうちの一人が長官の代わりに事態収拾にあたる(77条)。長官の免職・改選の権利はクライス等族が有する(74条)。これらの条文から明らかなように、帝国執行令では、クライス長官の任命・罷免権は完全にクライス等族が有していた。長官の報酬については、公示事項担当諸侯が長官となった場合は無報酬とすべきである(56条)。補佐官については、帝国等族以外から選出された場合には報酬を受け取るべきである(57条)と記されている。
長官はクライス内の平和破壊活動への対応を補佐官と協議してクライス等族に援助の詳細を通知する(60条)。長官・補佐官は、まだ攻撃が生じていないが、将来危機となる様な事態に対しても対処すべきである(70条)。長官・補佐官は帝国追放令の執行を行う(71条)。これらの条文から、長官・補佐官は将来起こりうる危機に対して予め対処することが可能な強い権限を持っていたことがわかる。ただし、73条では他の等族に対する優越性を不当に用いてはならないとも戒めている。
公示事項担当諸侯
編集クライスにおける会議
編集帝国執行令以後の変遷
編集グルムバッハ事件
編集関税問題
編集1570年シュパイアー帝国議会
編集対トルコ戦争
編集三十年戦争およびそれ以後
編集各クライスの成員一覧
編集バイエルン・クライス
編集バイエルン公を中心としたクライス。
聖界部会 | 俗界部会 |
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シュヴァーベン・クライス
編集多くの小等族から構成されているが、最大等族であるヴュルテンベルク公を中心によく組織されたクライスであり、帝国執行令の原型となったシュヴァーベン提案をとりまとめた。
聖界諸侯部会 | 俗界諸侯部会 | |
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高位聖職者部会 | ||
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伯部会 | ||
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帝国都市部会 | ||
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オーバーライン・クライス
編集数多くの中小等族で構成されており、クライス内に深刻な宗教対立を抱えていたため、しばしば機能不全に陥った。
聖界諸侯部会 | 俗界諸侯部会 | |
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伯部会 | 帝国都市部会 | |
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ヴェストファーレン・クライス
編集ニーダーライン=ヴァストファーレン・クライスが本来の名。フランスに近く、その圧力を受け易いという地理的条件から、求心力となる有力諸侯がいないにもかかわらず比較的結束力が強いクライスであった。
聖界諸侯部会 | 俗界諸侯部会 | 高位聖職者部会 |
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伯部会 | 帝国都市部会 | |
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フランケン・クライス
編集シュヴァーベン・クライスと並びよく組織された帝国クライスであり、帝国末期まで機能した。
聖界諸侯部会 | 俗界諸侯部会 |
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伯部会 | 帝国都市部会 |
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ニーダーザクセン・クライス
編集聖界諸侯部会 | 俗界諸侯部会 | ||
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ブルグント・クライス
編集1512年に新たに設けられた4つの帝国クライスの一つ。1556年にその一部(ネーデルラント17州)がスペイン領となり、神聖ローマ帝国を離れたため、クライスとしての実体を持たなかった。
- ブルグント公
- ブレダ家(ナッサウ=ブレダ家、1538年からナッサウ=オラニエン家)
- ホールン伯
- エグモント伯およびトゥルネー伯
- ベルー家
オーストリア・クライス
編集ハプスブルク家の相続領からなる名目だけのクライスであって、クライス会議が開催されたことすらない。
- ハプスブルク家相続領
- エスターライヒ・ウンター・デア・エンス大公
- エスターライヒ・オプ・デア・エンス大公
- シュタイアーマルク公
- ケルンテン公
- ゲルツ伯
- クライン公
- トリエステ市
- チロル伯
- ブリクセン司教
- クール司教
- トリエント司教
- ドイツ騎士団オーストリア管区
- ドイツ騎士団アン・デア・エッチュ管区
- タラスプ家(ディートリヒシュタイン家を含む)
オーバーザクセン・クライス
編集ブランデンブルク選帝侯、ザクセン選帝侯を中心に、その影響下にある等族を含め、1512年に新たに設けられた4クライスの一つである。
- アンハルト侯領
- バルビー伯(1659年からザクセン選帝侯領)
- ブランデンブルク選帝侯
- カミン侯領(1648年からブランデンブルク選帝侯領)
- ゲルンローデ修道院(アンハルト侯領)
- ハッツフェルト侯領
- ホーンシュタイン伯
- ローラ家およびクレッテンベルク家
- マンスフェルト伯(ブランデンブルクおよびザクセン選帝侯領へ)
- ヒンターポンメルン公(プロイセン)(1648年からブランデンブルク侯領)
- フォアポンメルン公(スウェーデン)(1648年からスウェーデン領)
- クヴェートリンブルク修道院
- ザクセン=ヴァイセンフェルト=クヴェールフルト公(1746年からザクセン選帝侯領)
- ロイス伯
- ザクセン選帝侯
- ザクセン=アルテンブルク公
- ザクセン=コーブルク公
- ザクセン=コーブルク=アイゼナハ公
- ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公
- ザクセン=アイゼンベルク公
- ザクセン=アイゼナハ公
- ザクセン=ゴータ公
- ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公
- ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公
- ザクセン=イェーナ公
- ザクセン=マイニンゲン公
- ザクセン=レムヒルト公
- ザクセン=ザールフェルト公
- ザクセン=ヴァイマル公
- シェーンブルク伯
- シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯領
- シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯領
- シュトルベルク伯(1738年からザクセン選帝侯領)
- ヴェルニゲローデ伯(1714年からブランデンブルク領)
- ヴァルケンリート修道院(1648年からブランシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領)
クールライン・クライス
編集事実上、ライン4選帝侯からなる帝国クライスで、他の等族はほとんど発言力を持たなかった。
脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集参考文献
編集- 山本文彦『近世ドイツ国制史研究 皇帝・帝国クライス・諸侯』北海道大学図書刊行会、1995年、ISBN 4832957317
- 渋谷聡『近世ドイツ帝国国制史研究 等族制集会と帝国クライス』ミネルヴァ書房、2000年、ISBN 4623031896
- ピーター・H・ウィルスン『神聖ローマ帝国 1495-1806』山本文彦訳、岩波書店、2005年、ISBN 4000270974
外部リンク
編集- Wikisource "Hernach volgend die zehen Krayß" - ドイツ語。各クライスの成員一覧はこの記事(11:57, 9. Aug. 2007版)による。