: Reichskreis16[1]10[2][3]
クライス地図

「クライス(Kreis)」という言葉は、現在も行政単位として用いられており、日本語では一般に「郡」と訳されている。ただし、本項での「クライス」はすべて帝国クライスを意味する。

概要

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()調

1555




帝国クライス制度の成立

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成立まで

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皇帝ヴェンツェル

11287

13834

1388138944419便
 

14154











14384

6



10


成立初期

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皇帝マクシミリアン1世

31

149515006

調21507

150015101512

150010







1515 

対オスマン帝国軍編成とミュンスター占拠事件

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皇帝カール5世
 
ヘッセン方伯フィリップ1世

151951521152215241530

1530

41

1532715327158715

15341522

41874015354101015321534








権限の拡充

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フェルディナント1世

15371





15426

姿15411544


帝国執行令に向けて

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ヴュルテンベルク公クリストフ

1554686

166

4

108815555

155521552

帝国執行令で規定されたクライス制度

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帝国執行令とは、アウクスブルク帝国議会最終決定の31条から103条の73箇条をいう。以下、( )内は条文の番号を示す。

平和破壊活動への対処

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小規模の平和破壊活動への対処

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宿38394050

5164801888380

近隣クライスの協力

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2623326362636489

さらに大規模な破壊活動への対処

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555

65調5665921067


クライスの組織

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クライスの組織として、長官(Oberst)、補佐官(Zugeordnete)、公示事項担当諸侯(Kreisausschreibenamt)が登場する。

長官・補佐官

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各クライス1名が等族により長官に選出される。長官は、必要に応じて数名の補佐官を任命できる(56条)。長官が1人で職務を遂行できない場合は、代理を任命することができる(58条)。長官自らが平和破壊活動を行った場合あるいは職務不履行の場合は補佐官のうちの一人が長官の代わりに事態収拾にあたる(77条)。長官の免職・改選の権利はクライス等族が有する(74条)。これらの条文から明らかなように、帝国執行令では、クライス長官の任命・罷免権は完全にクライス等族が有していた。長官の報酬については、公示事項担当諸侯が長官となった場合は無報酬とすべきである(56条)。補佐官については、帝国等族以外から選出された場合には報酬を受け取るべきである(57条)と記されている。

長官はクライス内の平和破壊活動への対応を補佐官と協議してクライス等族に援助の詳細を通知する(60条)。長官・補佐官は、まだ攻撃が生じていないが、将来危機となる様な事態に対しても対処すべきである(70条)。長官・補佐官は帝国追放令の執行を行う(71条)。これらの条文から、長官・補佐官は将来起こりうる危機に対して予め対処することが可能な強い権限を持っていたことがわかる。ただし、73条では他の等族に対する優越性を不当に用いてはならないとも戒めている。

公示事項担当諸侯

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1654

クライスにおける会議

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KreistagKreiskriegsratstagMünzprobationstag2

帝国執行令以後の変遷

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グルムバッハ事件

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156312調15641



2

15009



34

15664



3


関税問題

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プファルツ=ノイブルク公ヴォルフガング

156431566

沿15664[4]

315672157141576

1570年シュパイアー帝国議会

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オラニエ公ウィレム1世
 
アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド

1568西西1

15692551570

1570



3



41

21555

対トルコ戦争

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皇帝ルドルフ2世

15802使調

1594[5]

15985沿

三十年戦争およびそれ以後

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ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世

16311

163241634

163716481654[6]15551663

141643 - 17151651西168016901697561701 - 17141801

各クライスの成員一覧

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バイエルン・クライス

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バイエルン公を中心としたクライス。

聖界部会 俗界部会

シュヴァーベン・クライス

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多くの小等族から構成されているが、最大等族であるヴュルテンベルク公を中心によく組織されたクライスであり、帝国執行令の原型となったシュヴァーベン提案をとりまとめた。

聖界諸侯部会 俗界諸侯部会
  • ヴァルトブルク=ヴォルフェック=ヴァルトゼー家
  • ヴァルトブルク=ヴォルフェック=ヴォルフェック家
  • ヴァルトブルク=ツァイル=トラウフブルク家
  • ヴァルトブルク=ツァイル=ヴルツァハ家
  • ヴァルトブルク=ツァイル=ツァイル家
  • テンゲン伯
  • ヴュルテンベルクおよびテック公
高位聖職者部会
  • バイント修道院
  • ブーヒャウ女子修道院
  • エルヒンゲン修道院
  • エルヴァンゲン修道院
  • ゲンゲンバッハ修道院
  • グーテンツェル修道院
  • ヘックバッハ修道院
  • イルゼー修道院
  • カイスハイム修道院
  • ドイツ騎士団マインアウ管区
  • マルヒタール修道院
  • オクセンハウゼン修道院
  • ペータースハウゼン修道院
  • ロッゲンブルク修道院
  • ロート修道院
  • ロッテンミュンスター修道院
  • ザルマンスヴァイラー(ザーレム)修道院
  • シュッセンリート修道院
  • ウルスベルク修道院
  • ヴァインガルテン修道院
  • ヴァイセナウ修道院
  • ヴェッテンハウゼン修道院
  • ツヴィーファルテン修道院
伯部会
  • アウレンドルフ家
  • バール方伯
  • ボンドルフ伯
  • エーバーシュタイン伯
  • エクリンゲン家
  • エゴルフス家
  • フッガー伯
  • グンデルフィンゲン家
  • ハウゼン家
  • ハイリゲンベルク伯
  • ホーエンエムス伯
  • ホーエンゲロルツエック伯
  • ホーエンツォレルン=ジクマーリンゲン伯
  • ユスティンゲン家
  • ケーニヒスエック家
  • ルステナウ・ライヒスホーフ
  • メスキルヒ家
  • ミンデルハイムおよびシュヴァーゲック家
  • オーバーディシンゲン家
  • エッティンゲン伯
  • エッティンゲン=ヴァラーシュタイン伯
  • レヒベルク家
  • ローテンフェルス伯
  • シュタウフェン家
  • シュトゥーリンゲン方伯
  • テットナンクおよびアルゲン家
  • タンハウゼン家
  • ヴィーゼンシュタイク家
帝国都市部会

オーバーライン・クライス

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数多くの中小等族で構成されており、クライス内に深刻な宗教対立を抱えていたため、しばしば機能不全に陥った。

聖界諸侯部会 俗界諸侯部会
  • シュポンハイム伯(バーデンおよびバイエルン領)
  • ヴァルデック伯(1712年以降)
  • ザルム伯(1623年以降)
  • ナッサウ=ウジンゲン伯(1688年以降)
  • ナッサウ=ザールブリュッケン伯(1735年以降)
  • ナッサウ=ヴァイルブルク伯(1739年以降)
  • ゾルムス=ブラウンフェルス伯(1742年以降)
  • ザルム=キルブルク伯(1743年以降)
  • イーゼンブルク=ビルシュタイン伯(1744年以降)
伯部会 帝国都市部会
  • ゾルム=ホーエンゾルムス伯
  • ゾルム=リッヒ伯
  • ゾルム=ラウバッハ伯
  • ゾルム=レーデルハイム伯
  • ケーニヒシュタイン伯(シュトルベルク=ゲーデルン家およびマインツ選帝侯領)
  • イーゼンブルク=ビューディンゲン=ビューディンゲン伯
  • ザルム=グルムバッハ伯
  • ザルム=シュタイン=グレーヴァイラー伯
  • ライニンゲン=ハルデンブルク伯
  • ライニンゲン=ヴェスターブルク伯
  • ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ヴィトゲンシュタイン伯
  • ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク伯
  • クリーヒンゲン伯(ヴィート=ルンケル伯領)
  • ハーナウ=リヒテンベルク伯(1736年からヘッセン=ダルムシュタット領)
  • ハーナウ=ミュンツェンベルク伯(1736年からヘッセン=カッセル領)
  • ザルム=ダーウン伯
  • フランケンシュタイン伯
  • ライポルツキルヒェン家
  • ヴァルテンベルク伯(1699年/1707年以降)
  • ブレッツェンハイム家(1774年以降)
  • ダクシュトゥール家(1634年以降)
  • オルブリュック家(1720年以降)
  • メンスフェルデン城およびその村

ヴェストファーレン・クライス

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ニーダーライン=ヴァストファーレン・クライスが本来の名。フランスに近く、その圧力を受け易いという地理的条件から、求心力となる有力諸侯がいないにもかかわらず比較的結束力が強いクライスであった。

聖界諸侯部会 俗界諸侯部会 高位聖職者部会
  • ユーリヒ公およびベルク公
  • ゲルデルン公(1543年からハプスブルク家領、1548年からブルグント・クライス)
  • ミンデン侯領(1648年までは聖界諸侯部会)
  • ナッサウ=ディレンブルク侯領(1664年までは伯部会)
  • オストフリースラント侯領(1667年までは伯部会)
  • フェルデン侯領(1648年までは聖界諸侯部会)
  • マース侯領(1706年までは伯部会)
  • コルヴァイ修道院長(1792年から聖界諸侯部会)
  • コルネリミュンスター修道院長
  • シュタブロ=マルメディ修道院(1792年まで高位聖職者部会)
  • ヴェルデン修道院
  • エッセン女子修道院
  • ヘルフォルト女子修道院
  • トルン女子修道院
伯部会 帝国都市部会
  • ベントハイム伯
  • マンデルシャイト伯(1546年 ハプスブルク家の陪臣)
  • ブロンクホルスト家(1719年廃絶)
  • ディープホルツ伯
  • ホーヤ伯
  • リッペ伯
  • メールス伯(1541年 クレーフェ伯の陪臣)
  • ナッサウ=ディレンブルク伯(1664年から侯領)
  • オルデンブルク伯(1777年 公に昇格)
  • オストフリートラント伯(1667年から侯領)
  • ピルモント伯
  • ライヒェンシュタイン家
  • リートベルク伯
  • ザルム=ライファーシャイト伯
  • ザイン伯
  • シャウムブルク伯
  • シュピーゲルベルク伯
  • シュタインフルト伯
  • テックレンブルク伯
  • フィルネブルク伯
  • ヴィート伯
  • ヴィンネブルク家およびヴァイルシュタイン家
  • アンホルト家
  • ブランケンハイムおよびゲーロルシュタイン伯
  • ゲーメン家
  • ギムボルン家
  • グロンスフェルト伯
  • ハラームント伯
  • ホルツァッペル伯
  • ケルペンおよびロンマーズム伯
  • ミレンドンク家
  • レックハイム伯
  • シュライデン伯
  • ヴィックラート家
  • ヴィッテム家
  • リンゲン伯
  • ラーフェンスベルク伯
  • ホールン伯(1614年以降)

フランケン・クライス

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シュヴァーベン・クライスと並びよく組織された帝国クライスであり、帝国末期まで機能した。

聖界諸侯部会 俗界諸侯部会
伯部会 帝国都市部会
  • カステル伯
  • エアバッハ伯
  • ホーエンローエ伯(1746年以降は侯領、多くの家系に分派)
  • リムプルク家
  • ライヒェルスベルク家
  • リーネック伯
  • シュヴァルツェンベルク家(1599年に帝国伯に昇格、1671年から侯領)
  • ヴェルトハイム伯(1547年以降レーヴェンシュタインを併合、1711年から侯領)
  • ハウゼン家(1792年まで)
  • ザインスハイム家(1792年まで)
  • ヴェルツハイム家(1792年まで)
  • ヴィーゼントハイト家(1792年まで)

ニーダーザクセン・クライス

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聖界諸侯部会 俗界諸侯部会
帝国都市部会

ブルグント・クライス

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1512年に新たに設けられた4つの帝国クライスの一つ。1556年にその一部(ネーデルラント17州)がスペイン領となり、神聖ローマ帝国を離れたため、クライスとしての実体を持たなかった。

オーストリア・クライス

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ハプスブルク家の相続領からなる名目だけのクライスであって、クライス会議が開催されたことすらない。

  • ブリクセン司教
  • クール司教
  • トリエント司教
  • ドイツ騎士団オーストリア管区
  • ドイツ騎士団アン・デア・エッチュ管区
  • タラスプ家(ディートリヒシュタイン家を含む)

オーバーザクセン・クライス

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ブランデンブルク選帝侯、ザクセン選帝侯を中心に、その影響下にある等族を含め、1512年に新たに設けられた4クライスの一つである。

クールライン・クライス

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事実上、ライン4選帝侯からなる帝国クライスで、他の等族はほとんど発言力を持たなかった。

脚注

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注釈

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(一)^ 

(二)^ 

(三)^ 15126

(四)^ 1564

(五)^ 1597

(六)^ 

出典

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関連項目

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参考文献

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  • 山本文彦『近世ドイツ国制史研究 皇帝・帝国クライス・諸侯』北海道大学図書刊行会、1995年、ISBN 4832957317
  • 渋谷聡『近世ドイツ帝国国制史研究 等族制集会と帝国クライス』ミネルヴァ書房、2000年、ISBN 4623031896
  • ピーター・H・ウィルスン『神聖ローマ帝国 1495-1806』山本文彦訳、岩波書店、2005年、ISBN 4000270974

外部リンク

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