平田 増宗(ひらた ますむね)は戦国時代から江戸時代前期にかけての薩摩国島津氏家老老中

 

凡例

平田増宗
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄9年(1566年
死没 慶長15年6月19日1610年8月7日
別名 新四郎、太郎左衛門尉(通称
戒名 字参覚阿庵主
官位 美濃守
主君 島津義久義弘家久
氏族 平田氏
父母 父:平田歳宗、母:羽島氏の娘
兄弟 増宗宗親
正室:かつけ(上井覚兼の娘)
宗次行宗、男(僧侶)、治部卿
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生涯

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41599鹿13158541599

31598寿寿141609

151610鹿

[1][1][2]


平田氏嫡流の末路

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7817160210217


1511151610122919








寿17426161252642


1820



脚注

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  1. ^ a b 増宗は樺山久高鎌田政近に宛てて、伊集院忠真とも島津久信とも関係ない旨を伝え、噂のどちらも否定している。また、家康からの朱印状の噂の出所は伊集院忠真であったという(桐野作人『さつま人国誌 戦国・近世編 2』)
  2. ^ 桐野作人『さつま人国誌 戦国・近世編 2』

参考文献

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