弟橘媛

日本武尊(倭建命)の妃

弟橘媛(おとたちばなひめ、生年不詳 - 景行天皇40年)は、『日本書紀』によれば日本武尊。『古事記』では倭建命の后・弟橘比売命とする。

弟橘媛(『前賢故実』)より

記紀の弟橘媛(弟橘比売命)

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宿[1]

[2]宿[3]

退[4]

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常陸国風土記

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先代旧事本紀の橘媛

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先代旧事本紀』7巻天皇本紀では、景行天皇の項で穂積氏忍山宿禰の娘の弟橘媛が稚武彦王を生むとあり、また成務天皇の項で弟橘媛が9男(稚武彦王命・稲入別命・武養鷲命・葦敢竈見別命・息長田別命・五十目彦王命・伊賀彦王・武田王・佐伯命)を生むとある。

神社と伝説

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沿[12]
  1. ^ 『日本書紀(上)全現代語訳』 174ページ
  2. ^ ここでは「妾」と記しているが、景行天皇51年条の系譜では「妃」とする。
  3. ^ 『日本書紀(上)全現代語訳』 168ページ
  4. ^ 『東京湾史』 80ページ
  5. ^ 『古事記(中)全訳注』 150ページ
  6. ^ 『古事記(中)全訳注』 147ページ
  7. ^ 『日本書紀(上)全現代語訳』 169ページ
  8. ^ 『古事記(中)全訳注』 153ページ
  9. ^ 『亀井家譜』東京大学史料編纂所データベース。
  10. ^ 『風土記 新編日本古典文学全集5』 388ページ
  11. ^ 『風土記 新編日本古典文学全集5』 417ページ
  12. ^ 『人物伝小辞典 古代・中世編』 54ページ

参考文献

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関連項目

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