恭仁京

京都府木津川市にあった奈良時代の都城
恭仁宮から転送)

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恭仁宮 大極殿跡(山城国分寺 金堂跡)

概要

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127401215

74113911殿殿7431574214744162745175

74818殿

750西560西西

発掘・調査

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2015年10月8日、京都府教育委員会は、新年を祝う儀式である「元日朝賀」に用いる旗やのぼりを立てたとみられる柱穴の跡が恭仁宮跡で見つかったと発表した。このような遺構の発見は、還都後の平城京、長岡京の遺跡に次ぐ3例目であり、「正月を祝う習俗の跡としては国内最古」という。京都府教育委員会は、741年(天平13年)と742年(天平14年)の正月に儀式をした跡とみている[1][2]

文化財

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国の史跡

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19573271[3]

20071926[3]

20082072820102222220152731020172929201830213[3][4]

交通アクセス

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周辺情報

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脚注

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  1. ^ “「幻の都」で新年祝った? 京都・恭仁京の宮跡に遺構 -佐藤剛志”. 朝日新聞DIGITAL (朝日新聞社). (2015年10月9日). http://www.asahi.com/articles/ASHB845ZSHB8PLZB00W.html 
  2. ^ “国内最古、正月祝う遺構か 京都・恭仁宮跡で旗の柱穴確認”. 京都新聞 (京都新聞社). (2015年10月8日). http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20151008000139 
  3. ^ a b c 恭仁宮跡(山城国分寺跡) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 平成30年2月13日文部科学省告示第18号。

関連項目

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外部リンク

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先代
平城京
日本の首都
740年 - 744年
次代
難波京

座標: 北緯34度45分56秒 東経135度51分46秒 / 北緯34.76556度 東経135.86278度 / 34.76556; 135.86278