掃部寮
沿革・職掌
編集職員
編集- 頭(従五位下相当 唐名;守宮令、洒掃卿、尚舎奉御)
- 助(従六位上相当 唐名;洒掃少尹、尚舎直長、官舎少監)
- 允(従七位上相当 唐名;守宮丞、洒掃尹)
- 属(大属:従八位下相当・少属:大初位上相当 唐名;守宮史、洒掃史、尚舎令史)
- 史生
- 寮掌
- 使部
- 直丁
- 駆使丁
- 掃部
「かもん」の由来
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﹃古語拾遺﹄によれば、火折尊と豊玉姫の間に鸕鶿草葺不合尊が産まれるその時に、浜辺に産殿が建てられたが、掃守連の祖・天忍人命が供奉して、箒を作り近寄る蟹を掃き払って御床の安寧をはかった。これより鋪設の職掌を世襲し、名付けて蟹守︵かにもり︶と称したという。現在︵執筆された当時︶、掃守︵かんもり︶と呼ぶのはこれが転訛したものである。
また、﹃新撰姓氏録﹄での掃守連は、海神豊玉彦の子・振魂尊の四世孫・天忍人命を祖とし、雄略天皇に仕えて掃除の監督をしたことから掃守連の氏姓を賜ったという。
石上英一は、掃守連は宮中の清掃・敷設を生業とした伴造であり、掃部・掃守を古くは﹁かむもり﹂と読んだが、これが﹁かにもり﹂と転訛した後に語呂合わせで逆に蟹守の説話が造り上げられたもので、本来は殿上の清潔を保つ任の殿上守︵かみもり︶であったかと推測している[1]。