斯波 持種(しば もちたね)は室町時代中期の武将斯波氏の有力一族・斯波満種の嫡男で、母は京極氏の娘。

 

凡例

斯波持種
時代 室町時代中期
生誕 応永20年(1413年
死没 文明7年7月16日1475年8月17日
改名 持種、道顕明岩(法名)
別名 大野持種、孫三郎(通称)
官位 民部少輔修理大夫
幕府 国持衆並、御供衆
氏族 斯波氏
父母 父:斯波満種、母:京極氏の娘
義敏(武衛家へ)、義孝ほか
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生涯

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斯波民部少輔家(斯波大野家)

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201413殿

4



駿1428駿[1]

武衛家の混乱

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応仁の乱

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やがてこの斯波氏の混乱に将軍家・畠山氏の家督争いが絡み応仁の乱が起こると、義敏・松王丸と共に東軍に属し越前の奪還を目指して戦うことになる。しかしながら一度凋落を始めた斯波氏の権威は容易に取り戻せるものではなく、甲斐氏の次に頭角を現した朝倉孝景によって越前の攻略が推し進められる中、持種は応仁の乱で混迷極める文明7年(1475年)、63歳の生涯を閉じた。その後の斯波民部少輔家(大野家)は義敏の弟である斯波義孝が継いだ。

脚注

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  1. ^ 森田香司 著「今川氏親と文亀・永正の争乱」、黒田基樹 編『今川氏親』戒光祥出版〈中世東国武士の研究 第二六巻〉、2019年、113-114頁。ISBN 978-4-86403-318-3 /初出: 静岡県地域史研究会 編『戦国期静岡の研究』清文堂出版、2002年。 

参考文献

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