月亭春松
日本の明治時代初期~昭和時代初期の落語家・俳優
本名 | 植松 秀一郎 |
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生年月日 | 1827年1月13日 |
没年月日 | 1945年12月24日(118歳没) |
師匠 | 2代目月亭文都 7代目朝寝坊むらく 2代目桂文團治 |
名跡 | 1.月亭春松(1892年 - 1913年) 2.朝寝坊小夢(1913年 - 1914年) 3.5代目月亭文當(1914年 - ?) 4.月亭春松(不詳) |
活動期間 | 1892年 - ? |
所属 | 三友派 浪花落語反対派 花月派(後の吉本興業部) 吉本興業 |
備考 | |
『落語系圖』の編者 | |
●明治初期頃の生まれ。 ●1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり春松を名乗る。 ●1893年11月、京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動する。 ●1913年、7代目朝寝坊むらく︵のちの3代目三遊亭圓馬︶門下で朝寝坊小夢。 ●1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。 ●師匠の死後は2代目桂文團治︵7代目桂文治︶の預かり弟子となり再び月亭春松を名乗る。 ●初め三友派に所属、文當を名乗ってからは京都に出向いたりなどした。 ●そののち浪花落語反対派から花月派︵後の吉本興業部︶に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。 ●1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。 ●没年は昭和初期。
『落語系圖』について
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1929年に出版された﹃落語系圖﹄は、戦前の上方落語の資料としては、数少ない体系だった資料である。前半は江戸・上方落語の諸流系図を、後半は鳴物のきっかけ表、出番表、席亭・落語家の肖像などを掲載している。写真資料が豊富なのも特徴である。
3代目桂米朝は、その著書﹃上方落語ノート﹄p266 において、次のように述べている。﹁﹃落語系図﹄は貴重な本だが書き方が乱雑で、古い時代のことは今日の辞典のようなつもりで簡単に引用すると、とんでもない間違いを仕出かすことがある。誤りも少なくない。前後矛盾もあるし、要注意の資料であるが、しかし上方落語史において大事なものであることは間違いない。﹂
﹃落語系圖﹄は、名著刊行会から1965年、1979年の二度、復刻されている。
出典
編集外部リンク
編集- 落語系図 - 落語系圖に掲載されている肖像が一部見られる。