杉田つる

兵庫県神戸市出身の小児科医、歌人
杉田鶴子から転送)

  188215126 - 195732420

[1]19209

5[2]

前半生

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4190538西1419084119084119114421219132[3] NTT2005

戦争と戦後

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太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲により自身の医院と監督していた本郷三丁目の日本女医会事務所が焼失し、二宮(神奈川県中郡二宮町山西240番地1)に軍事保護院相模保育所を開設する。保育所は、終戦後も国立東京第一病院付属相模保育所(戦災孤児のための保育施設)として存続し、1946年(昭和21年)3月からは、同病院二宮分院となり、杉田鶴子はその主任医師として再出発した。国立小児病院二宮分院は、2002年(平成14年)3月1日に国立療養所神奈川病院と統合され、現在は、独立行政法人国立病院機構神奈川病院となっている[4]。鶴子は1957年(昭和32年)4月20日に逝去し、東京青山霊園に眠る。

信仰

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内村鑑三が唱えた無教会派に所属した[5]

著作

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  • 『菩提樹: 歌集』相模書房、1940年
  • 『杉田鶴子歌集』勁草社、1958年
  • 石原兵永『杉田つる博士小伝』杉田追憶文集刊行会 新教出版社、1958年(序文は矢内原忠雄)

脚注

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  1. ^ コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 2019年9月25日閲覧
  2. ^ 矢内原忠雄全集 第25巻』 岩波書店、1963年、p.394
  3. ^ 横川弘蔵「日本医学校と女性医師の先駆者たち 日之出会の人びと」『日本医史学会雑誌』第31巻第4号 p.580-583 1985年(昭和60年)10月
  4. ^ 江刺昭子『時代を拓いた女たち; かながわの131人』神奈川新聞社 2005年 p.144-145
  5. ^ 改訂版・江戸東京医史学散歩 26.「解体新書」慶應義塾図書館:〔2〕『解體新書』(邦訳本) 杉田つる氏寄贈本 2019年9月25日閲覧