松阪高速船
歴史
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江崎汽船︵熊本県︶が主体となり会社を設立[1]し、2006年︵平成18年︶12月20日、運航を開始した。需要予想は1日あたり600人であったが、最も利用者が多かった2008年︵平成20年︶度でも1日あたり340人程度にとどまった[2]。
航路開業から半年あまりが経過した2007年︵平成19年︶8月から1年間の利用者数は約1.2万人で、採算ラインを約3万人割り込んだ上、燃料費高騰などもあり約8,000万円の累積赤字︵2008年︵平成20年︶7月期︶が見込まれることから経営難に陥った。こうした状況に対して同社は松阪市に公的補助を求めたが、同市は松阪高速船の親会社と﹁赤字補填はしない﹂という協定を結んでいた[3]。
しかし2008年︵平成20年︶9月の燃料油価格変動調整金制度導入にあたって同市は﹁利用促進のためであって赤字補填ではない﹂として調整金分の運賃補填を決定した[3]。これに対し津市と中部国際空港を結ぶ航路を運営する津エアポートラインは﹁︵競合航路に偏った公的補助が行われると︶健全な競争ができない﹂として反発した。
その後、2009年︵平成21年︶8月31日をもって同社による運航を終了し、翌日より津エアポートラインが同航路の運航を引き継いだ。しかし津エアポートラインによる運航も2016年︵平成28年︶12月19日の契約満了によって終了した[2]。
沿革
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●2006年︵平成18年︶12月20日 - 松阪港-中部国際空港間の運航開始︵1日片道あたり7便︶。
●2008年︵平成20年︶
●2月1日 - 1日片道あたり8便に増便。
●6月1日 - 原油高に伴い運賃を大人2,100円から2,400に値上げ。
●9月1日 - 燃料油価格変動調整金を導入。ただし、松阪市が調整金分の運賃を補填することにより、乗客が支払う運賃は据え置かれた。
●2009年︵平成21年︶8月31日 - 経営難により航路事業から撤退。翌日より津エアポートラインが運航を引き継いだ。
●2018年︵平成30年︶8月6日 - 清算結了。[4]
運航していた船舶
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すずかぜ
約130総トン、全長約31.5m、幅約8.0m、出力3,590馬力、航海速力31ノット以上。
旅客定員108名。常石林業建設︵現ツネイシクラフト&ファシリティーズ︶建造。
アルミニウム合金製の双胴船。
まつかぜ
※ 予備船
脚注
編集- ^ 松阪港-中部国際空港アクセスの再生を松阪市と協定(社長室から) - 津エアポートライン(2009年7月23日付・同年9月7日閲覧)
- ^ a b 大沢悠「消えぬ返済金の荒波 2016 みえ回顧 ⑦ 松阪ベルライン廃止」中日新聞2016年12月29日付朝刊、三重版12ページ
- ^ a b 松阪高速船サーチャージ負担 松阪市補正予算案を可決[リンク切れ] - 読売新聞(2008年8月19日)
- ^ 松坂高速船株式会社の情報|国税庁法人番号公表サイト
関連項目
編集- 空港アクセス・三雲松阪コミュニティバス - 松阪高速船就航に合わせて運行開始したコミュニティバス。後に空港アクセス線と三雲松阪線に分離。