江藤純平 (画家)
経歴
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大分県臼杵市出身[2][3]。1918年に東京美術学校︵現在の東京芸術大学︶西洋画科に入学し、岡田三郎助や片多徳郎に師事した[2][3]。1923年に東京美術学校を卒業した[2][3]。
1923年の第5回帝展に出品した﹁アトリエにて﹂が初入選した[3]。1928年の第9回帝展に出品した﹁S氏像﹂と1929年の第10回帝展に出品した﹁F君の像﹂は2年連続特選となった[3]。1933年の第14回帝展に出品した﹁室内裸婦﹂も特選を受賞した[3]。
1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に"The Rugger"︵和題不明︶を出品した[4]。
1937年に光風会に会員として参加した[3]。1969年の第1回改組日展に﹁小豆島﹂を出品し、内閣総理大臣賞を受けた[1][2][3]。
1987年11月16日に脳出血のため、東京都三鷹市の杏林大学病院で死去した[3]。第19回日展に出品した﹁古城址﹂が絶筆となった[2]。