渡辺蕗子
日本のミュージシャン
概要
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天性の絶対音感を活かして、中学・高校・大学在学中から、音楽活動に入る。1982年夏のニュー・ウェイヴバンド﹁ショコラータ﹂に、二代目のキーボーディストとして参加[1]以降、プロとして本格的な活動に入り、バンドマスターとして同バンドのライブのための楽曲、デビュー・シングル 、デビュー・アルバム、ビデオの楽曲の多くを担当[2]。1986年、坂本龍一が音楽監督を務めた映画﹁子猫物語﹂︵同年7月12日公開︶のサウンドトラックに作曲者として参加[3]するなど、同年9月のショコラータ解散前後からソロでの活動を始める。楽曲提供など、他歌手のサポートを手がけ、﹁FUKICOS OPERARIA﹂﹁世紀末のアフロディーテ達﹂他、数々のイベント・プロデュースも手がける。ライブでは様々な歌手とコラボレーションしている。Last Waltz
経歴
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日本大学芸術学部音楽学科︵作曲︶入学後、早稲田大学のオリジナル中心のバンドサークル﹁Modern Music Troop﹂︵MMT、1960年創立︶に参加[2]。
1982年夏、ニュー・ウェイヴ・バンド﹁ショコラータ﹂に参加。以来、ライブのための楽曲制作。カセット・マガジン・TRAスペシャル・イシュー﹁ショコラータ﹂︵1983年10月︶、デビュー・シングル ﹁いつか見た青空﹂、デビュー・アルバム﹃ショコラータ﹄︵双方とも1986年6月、キングレコード︶、ビデオ﹁黒い月のニーナ﹂︵1985年7月、WAVE︶の音楽監督を担当する[2]。
1984年2月公開の吉川晃司デビュー映画﹁すかんぴんウォーク﹂︵大森一樹監督、宮川泰音楽︶の音楽制作に参加[2]。
1986年、坂本龍一が音楽監督を務めた映画﹁子猫物語﹂︵同年7月12日公開︶サウンドトラックに作曲・編曲で参加。同年9月のショコラータ解散とともにソロ活動を始め、イベントの音楽、CM・テレビ番組の主題歌・音楽のプロデュースを手がける。
1988年〜、NHK総合﹁ジャストポップアップ﹂ジングル担当。
1989年、三上博史2ndアルバム﹃ORGA'N﹄︵12月21日発売、Invitation︶に、﹁腸肉﹂﹁風の追憶﹂﹁回帰線﹂の作曲・編曲・サウンド・プロデュースで参加[4]。
1990年以前から﹁THE THRILL﹂結成時にバンドマスターとして参加。同年の坂本龍一・矢野顕子夫妻︵当時︶の渡米の際、矢野が愛用していたグランドピアノを譲渡される。その後、躁鬱病発病。入退院を繰り返す。双極性障害との診断を受ける。
1993年、﹁FUKICOS OPERARIA﹂スタート。以後、渋谷ジァン・ジァン、南青山MANDALA等で、MAGUMI、覚和歌子、窪田晴男、甲田益也子、杉本恭一、清水ミチコ、戸川純、天野小夜子、小川美潮ら多彩なゲストを迎えて続行中[2]。
1994年、松江潤のCD﹁WORK OUT EP﹂︵9月21日発売︶に参加。
2000年、窪田晴男とのユニット﹁柿生音楽会議﹂を結成[2]。
2002年、MAGUMIと﹁Venus & Mars﹂を結成。後に、いしだ壱成が加入。
2008年6月、自宅録音による﹁Venus & Mars﹂のアルバム﹃Blueprint﹄リリース。
2010年3月29日、バースデイライブを南青山MANDALAで開催。同年7月25日は藤井丈司、8月17日は佐久間正英&unuspected monogram[5]と南青山MANDALAでのライブで共同プロデュース共演。同年11月、Ustreamでピアノの練習風景等の配信を開始。
2011年3月11日に発生した東日本大震災被災直後、地元でチャリティコンサートを主催。﹁ふんばろう東日本﹂と連携して被災地の子供達の為に非売品クリスマスCD-Rボランティア制作のトップとして参加。
2012年から2013年にかけて﹁渡辺蕗子& fukicos﹂ライブを村松邦男、大政和寛、Dr.Tommy、大久保敬、古田たかしらとともに行う。神戸ではFRYING DUTCHMANと共演。
関連人物
編集脚注
編集出典
編集- ^ Myspace Fukiko Watanabe
- ^ a b c d e f [1]
- ^ “渡辺蕗子”. www.jmdb.ne.jp. 2023年4月8日閲覧。
- ^ “駿河屋 -三上博史 / ORGA’N(廃盤)(邦楽)”. www.suruga-ya.jp. 2023年4月8日閲覧。
- ^ unuspected monogram公式サイト