煢
煢(けい)は、古代中国で使われた14面ないし18面のサイコロである。六博と呼ばれる盤上遊戯に使われた。[1]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/75/%E5%85%AD%E5%8D%9A%EF%BC%91%EF%BC%94%E9%9D%A2.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/18-sided_dice_from_tomb_of_Dou_Wan.jpg/150px-18-sided_dice_from_tomb_of_Dou_Wan.jpg)
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六博には大博と小博があり、大博は「博」と呼ばれる竹の棒を半裁したものを使い、小博は煢と呼ばれるさいころを使用したと推測されている。[2]
概要
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中国には紀元前よりダイスゲームに相当するものがあった。秦始皇帝陵から出土した煢は14面であり、石製で、具体的な立体の形状としては立方体を切頂した十四面体であり、稜を丸めて各面を円形にしたような形状である。各面の記載内容としては、一から十二までの数字が書かれた12面と、﹁驕﹂・﹁男妻﹂の文字がそれぞれ書かれた2面から構成されていた。
漢代になると、18面の煢が使われるようになった。この具体的な立体の形状としては、内接球を持つ切稜立方体を元に、六角形面が3枚集まる三角錐部分を削ってなだらかな盛り上がりとし、角を丸めた正方形面18枚が同じ大きさになるように仕上げた形状である。各面︵目︶の記載内容としては、一から十六までの数字が書かれた16面と、﹁驕﹂と書かれた面、および出土資料により異なる字が書かれた面があり、その出土資料により異なる字が書かれた面は、例として﹁妻畏﹂あるいは﹁妻黒﹂、﹁酒来﹂などといった文字が書かれていた。[3]