石見銀山街道

石見銀山より銀を港へ運ぶために利用されていた街道

石見銀山街道(いわみぎんざんかいどう)は、石見銀山で産出された銀鉱石銀地金を陸路でへ運ぶために利用されていた街道の通称である。銀の道(ぎんのみち)とも呼称されている[1]

地図

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5 km

古龍

温泉津

沖泊

鞆ヶ浦

.

銀山

  

地図

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45 km

笠岡

尾道

甲山

三次

赤名峠

九日市

温泉津

.

銀山

  

大田市温泉津沖泊道沿いにある松山の道標。「右 銀山大森」。
福山市内、石見街道(笠岡道)と西国街道の交点に文政10年(1827年)建立された道標。手前右側に「右 石州ぎんざん道」。
銀山と刻まれている道標。

 42[2][3][3]

沿310()


沿革

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(一) : 16[4]7.5 km[4]

(二) : 16[4]12 km[4]

(三) : 17130 km[5][6]
 

 

 

 

150 km

 

 

大内氏

 

博多

  

 

 

 

 

75 km

 

 

 

毛利氏

 

尼子氏

 

小笠原氏

 

大内氏

  

 

 

 

 

150 km

 

 

 

 

大阪銀座

 

京都銀座

  

中世

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61526寿[7][6][8][1][9][6]

21533[7][1][10][1][10]使[7][8]

51562[10][8][10][11]131585[7]

近世

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京都銀座跡

5160061601[7][8][1][12][8]1601西1600[13]81603[6][8]

[6]3[14]沿宿宿[15][15]

[2]宿[16][17][17]


文化財

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1995[18]調[19][11][19][11]2000[18]

20072013沿[20]沿[21]


  • 文化の道 : 鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道
  • 国の史跡 : やなしお道、森原古道(尾道道)
  • 日本風景街道 : 銀山街道・陰陽結ぶ銀の道(鞆ヶ浦・温泉津沖泊・尾道・笠岡道全域)
    • 夢街道ルネサンス(中国地方のみで更に選別したもの) : 美郷町石見銀山街道、いにしえの里三次物怪・でこ街道(以上尾道道)、銀山街道上下宿、石州街道出口通り(以上笠岡道)
  • 歴史の道百選 : 温泉津沖泊道、やなしお道
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選 : 銀山街道を歩く・白壁のまち上下(笠岡道)、(石見銀山・往時を偲ぶ銀山街道は大森地区のみ)

鞆ヶ浦道

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7.5 km沿5229.23 m2

188720DOWA293 m西

西西西9


鞆ヶ浦道をたどる

山吹城跡登山道口
吉迫口番所跡
藤田組永久鉱山のレンガ積み煙道
柑子谷地区
横畑の題目塔
水ヶ迫集落の鞆ヶ浦道口
上野集落の鞆ヶ浦道口
胴地蔵
口屋峠の祓井戸
西谷集落
琴ヶ浜を望む
鞆ヶ浦集落

古龍

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寿[9][22]40[9][9]

調[23]

温泉津沖泊道

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13.8 km沿21070.93 m2

430 m西沿

西宿400 m194318西 - 201西15398

温泉津沖泊道をたどる

坂根口番所跡
降路坂
降路坂峠の頂上
ヘビノネコザ
五老橋
西田集落
ヨズクハデ
西田の棚田
清水集落
土橋
松山の道標
沖泊集落

尾道道

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尾道までは約130 km、3泊4日で運んだ[5]。ここでは、その宿場である九日市宿(島根県美郷町)・三次宿(広島県三次市)・甲山宿(広島県世羅町)の区分けで表記する。

大森 - 九日市

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2. 水上町荻原。荻原千軒と呼ばれた旧宿場町であり、銀輸送隊はここで最初に休憩した[24]
3. 箱茂のお松。大田市と美郷町の境にあり、当時は街道筋の休憩所として親しまれた。枯死した際に新たに植えられ、現在のものは3代目にあたる[24]
4. 小原の本陣跡。小原宿・現在の美郷町粕渕で銀輸送隊は馬替えと昼食をとった[24]
5. 幕末の頃の本陣。現在は旅館[24]
6. 川番所跡。銀山街道と江の川船運との交点であり、抜け荷を取り締まった[24]
7. 九日市の本陣「原田屋」跡。銀輸送隊は九日市までで初日を終え、本陣原田屋と脇本陣鍛冶屋で宿をとった[25]

[26]

 1 : [24]
[26]

[26]91354[26]6[27]

7 km[28][26][27][28][26]


茶屋屋敷跡
  • 一里塚跡
  • やなしお坂
     


     2 : [24]


    800 m[29]沿10 m[29][29][30][30]

    2009300 m[29][31]2016[32]

    九日市 - 三次

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    1. 島根県道166号美郷飯南線太平橋の位置にはかつて土橋があり、現在橋の下にある巨石はその時に橋台として用いられた[25]
    2. 酒谷の口番所跡。道をまたぐように建てられていた珍しい番所であった[25]
    3. 石見国(天領)と出雲国(広瀬藩)の境木。1826年に建て替えたとする記録がある。現在のものは再建[25]
    4. 赤名の道標。1856年建立。「左ハ石州さけ谷 大田 大もり五百らかん」「右ハとん原 まつ江 大やしろ一ばた 道」[25][33]
    5. 赤名酒造前にある銀山街道赤名宿説明板。赤名で馬の付替が行われた[33]
    6. 瀬戸の一里塚跡。広島と松江の中間点にあたる[25][33]
    7. 宿宿宿[25]
    8. [34]
    9. 布野宿入り口にある常夜灯[34]
    10. 布野宿説明板[34]
    11. 下布野の道標。「右日下」「左みよし」[34]
    12 神野瀬川の渡し跡。その後架けられ現在は渡れない吊橋がある[34]
    13. 山家の一里塚跡。[34]
    14 三次の道標。「左ハひろしま」「右ハいづも大社」[34]
    15. 三次の本陣跡。その後広島農工銀行三次支店が建てられ広島銀行三次支店となり、現在は和菓子店。

     1 : [25][35]
    [35]

    2009[35]調[35]

     2 : 


    1 km[33][33]


    石次の一里塚跡
  • 古民家・倉屋
     


     3 : 5733[33][33]
     : 54[25][33]

     : 54


    出雲国(島根県)と安芸国(広島県)の境柱。
  • 三次 - 甲山

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    1. 岩神渡し跡。現在は下流側に巴橋がかかる。
    2. 鳥井ヶ瀬の渡し跡。現在は鳥居橋がかかる。
    3. 塩野の常夜灯
    4. 下素麺屋一里塚跡[36]
    5. 中山一里塚跡。旧道は尾道松江線の盛土の下を通る形になっている。
    6. 宇賀の辻堂。尾道道と笠岡道との分岐手前にある[36]
    7. 広石一里塚跡。
    8. 道標。「右ハみわら」「左ハをのみち」
    9. 頼籐の道標。非常に珍しい三角柱の台座の上に地蔵が載せられている。表「右ハひろしま」「左ハをのみち」、裏「右ハたぶさ」「左ハみよし」[36]
    10. 八王子神社の常夜灯[36]
    11. 紫峠一里塚跡。古道の入り口でもある。
    12. 砂田木徳堂。当時の旅人によるお店の宣伝書きが残っている[37]
    13. 木原一里塚跡
    14. 回国塔道標。回国塔とは巡礼者が奉仕活動として建立したものであり、建立者の名前も刻まれている。「右 みはら」「左 おのみち」[37]
    15. 新山一里塚跡

    甲山 - 尾道

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    1. 世羅の目鏡橋。国の登録有形文化財。
    2. 鳥居峠一里塚跡
    3. 宇津戸の常夜灯[37]
    4. 観音寺の道標。「左 甲山 石州はまだ道/右 上下 庄原 みよし 西域 雲州街道」[37]
    5. 公文の常夜灯と辻堂[37]
    6. 高尾の辻堂[37]
    7. 神の常夜灯。御調高前にある。
    8. 金毘羅大権現の常夜灯。
    9. 市原の四ツ堂と常夜灯[38]
    10. 身代わり地蔵。四ツ堂の中に安置されている[38]
    11. 三成の六地蔵[38]
    12. 三成の常夜灯[38]
    13. 六本松地蔵尊
    14. 長江の道標。「左 いづも往来」「右 天満宮道」[38]
    15. 本陣跡。代官所役人の宿泊所。礎石が現在も残る[38]
    16. 出雲街道の碑。「出雲大社道」「本道三十七里」「近道三十三里」[38]

    尾道は平安時代末期に現在の世羅町にあった太田庄という荘園の倉敷地として開港した経緯があり[13]、甲山(世羅)から尾道までの道としては平安時代末期には確実に存在したことになる。

    笠岡道

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    便2

    宇賀 - 府中

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    1. 下野の道標。甲奴分かれ交差点の商店敷地内にある。「右 たふさ 庄者ら」「左 きさ 三よし 道」[41]
    2. 大黒屋道標。上下中心部にある。「右ハ 石州 雲州道」「左ハ きをん ひろし満」[41]
    3. 天領上下代官所跡[41]
    4. 井永のエノキ。エノキは一里塚として植えられていた。
    5. 猫地蔵[41]
    6. 中津藩と福山藩の藩境石柱。もともとは石州道沿いの位置にあった。
    7. 木野山の道標。「府中」とだけ刻まれている[41]
    8. [41]
    9. 辻堂
    10. 六地蔵
    11. 別両路の道標。「左 石州道」「右 雲州道」[42]
    •  1 : 茗荷丸と荒谷の古道。ここから坂根峠に向かって古道がある[42]

    府中 - 笠岡

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    1. 出口町の番所跡。福山藩郡奉行の口留番所があった[42]
    2. 出口町のかんのき道標。「北 上下 小畑 石州道」「西 市邑 甲山道」「東 福山 上方道」[42]
    3. [42]
    4. 新市の道標。吉備津神社参道である立石通り入り口にある。「右 一宮へ八丁」「左 石州道」「左 上方道」[42]
    5. 戸手の地蔵堂と辻堂[42]
    6. 万能倉の道標。東城往来との交点。「東 岡山道」「西 府中道」「南 福山道」「北 東城道」[42]
    7. 福山藩番所跡[42]
    8. 辻堂
    9. 辻堂
    10. 石州道石標。元々は山陽道との交点( 1)にあった。「右 石州ぎんざん道」「左 九州おうくわん」「右 かさおか近道」「左 かんなべかい道」[43]
    11. 峠の番所跡[43]
    12. 石州往来茶屋跡[43]
    13. 辻堂
    14. 西の堂[43]
    15. 笠岡代官所跡[43]
    •   : 神辺から笠岡への道はいくつかあるとされる[43]。大きく分けて2つ、1つはそのまま南東に向かう道、もう1つは山陽道に沿って北東に向かい高屋( 2)から南の笠岡へ向かう道である。

    状況

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    運搬

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    中世(日本海側)

    [4]

    [44]815398[44][44][44]



    [13]1011111234[13][6]

    10(40kg)21[8]250300400[13][6][8]宿宿[13]

    [8]

    沿[45]沿[46]

    路面

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    [4]

    72.1m[6]調[47][28]調16使1m1715cm2m[47][48]

    沿
     

     

     

     

    45 km

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

      

    銀山あるいは大森の名が刻まれている道標
     

     

     

     

    45 km

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

      

    石見/石州の名が刻まれている道標
     

     

     

     

    45 km

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    出雲大社

      

    出雲/雲州あるいは大社の名が刻まれている道標

    西


    伝播

    編集

    沿

    [49]

    沿[24][25]

    沿

    沿1779[50]

    脚注

    編集
    注釈
    1. ^ 西廻海運が確立したのは寛文12年(1672年)。
    2. ^ 岡山県内および旧福山藩にあたる地域では「西国街道」と呼ばない。
    脚注


    (一)^ abcd  .  (2017614). 20191223

    (二)^ 1.  (PDF). . 20191223

    (三)^ ab 2018, p. 1.

    (四)^ abcdef. . 20191223

    (五)^ ab  .  (2017920). 20191223

    (六)^ abcdefgh. . 20191223

    (七)^ abcde. . 20191223

    (八)^ abcdefghi. . 20191223

    (九)^ abcd3.  (2004831). 20191223

    (十)^ abcd .  (20071127). 20191223

    (11)^ abc Np.4 (PDF).  (200211). 20191223

    (12)^  .  (20071217). 20191223

    (13)^ abcdef  (PDF). . 20191223

    (14)^  .  (2007115). 20191223

    (15)^ ab (PDF). . 20191223

    (16)^ . . 20191223

    (17)^ ab 1882, p. 15.

    (18)^ ab  (PDF). . 20191223

    (19)^ ab24 .  (2006926). 20191223

    (20)^ 54沿 54沿 (PDF). . 20191223

    (21)^  (PDF). . 20191223

    (22)^  調. . 20191223

    (23)^  .  (201698). 20191223

    (24)^ abcdefgh 2018, p. 3.

    (25)^ abcdefghij 2018, p. 4.

    (26)^ abcdef. . 20191223

    (27)^ ab.

    (28)^ abc20.  (201292). 20191223

    (29)^ abcd.  (2009522). 20191223

    (30)^ ab3.  (20111125). 20191223

    (31)^  .  (20091020). 20191223

    (32)^ .  (2016720). 20191223

    (33)^ abcdefgh. . 20191223

    (34)^ abcdefg 2018, p. 5.

    (35)^ abcd.  (2018215). 20191223

    (36)^ abcd 2018, p. 2.

    (37)^ abcdefg 2018, p. 3.

    (38)^ abcdefgh 2018, p. 4.

    (39)^ . . 20191223

    (40)^ (12). . 20191223

    (41)^ abcdef 2018, p. 2.

    (42)^ abcdefghi 2018, p. 3.

    (43)^ abcdef 2018, p. 4.

    (44)^ abcd19 .  (200644). 20191223

    (45)^ 5 2PDF3020191223 

    (46)^  , 2018629doi:10.24484/sitereports.2272320191223 

    (47)^ ab 2 (PDF).  (2019316). 20191223

    (48)^ 20 .  (2010714). 20191223

    (49)^ 調292調1996155-159doi:10.11402/cookeryscience1995.29.2_15520191223 

    (50)^  (PDF). . 20191223

    参考文献

    編集

      1:50,000 20064

    (3117()) - 
    [] (PDF). . 20191223

    [] (PDF). . 20191223

    [] (PDF). . 20191223

    ? - 
     (PDF). . 20191223

    西188212 

    関連項目

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    外部リンク

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