神田辰之助

日本の将棋棋士

  1893222 - 194396
 神田辰之助 九段
1939年ごろの神田辰之助
名前 神田辰之助
生年月日 (1893-02-22) 1893年2月22日
没年月日 (1943-09-06) 1943年9月6日(50歳没)
プロ入り年月日 1917年
出身地 兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・神戸市
所属 関西将棋研究会
→棋正会
→関西将棋研究会
→十一日会
日本将棋革新協会
将棋大成会(関西)
師匠坂田三吉贈名人・王将)→木見金治郎九段[1]
弟子 野村慶虎北村秀治郎岡崎史明畝美与吉松田辰雄松浦卓造灘蓮照
段位 九段
順位戦最高クラス A級

2020年8月28日現在
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経歴

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517

1915232191826便

1922301923321926西西19288

1933[2]959111934[3]73419356[4]1049289034

119351121退[5][?]19366291

19423711824419439651

1964113[6]

人物

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人物については親分肌であったとも、利己主義者であったともいわれるが、将棋についての情熱ぶりは誰もが認めており、「闘将」との評がある(木村義雄による)。

勝負事に強く、藤沢桓夫の「大阪の将棋指し」(『小説棋士銘々伝』(講談社)に収録)には、「撞球は甘くない50。麻雀が強く、ルード・ゲームが強く、どんな種類の花札も強かった」と描写されている。

弟子

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棋士

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名前 四段昇段日 段位、主な活躍
畝美与吉 1932年 七段
松田辰雄 1935年 八段、A級在籍5期
野村慶虎 1936年 七段
岡崎史明 1938年1月1日 八段
野口忠雄 1943年1月 四段、1945年5月に第二次世界大戦沖縄戦で戦死[7]
北村秀治郎 1944年1月1日 八段
松浦卓造 1944年 八段、A級在籍3期
灘蓮照 1947年 九段、一般棋戦優勝6回、A級在籍17期

[8]

西


著書

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  • 『昇段熱血棋集』(1938年、朝日新聞社)
  • 『将棋力戦法』(1941年、博文館)

脚注

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(一)^ 

(二)^  14 1979

(三)^  14 1979

(四)^  14 1979

(五)^ 1976pp.58 - 61

(六)^  P.250

(七)^ 調  4412198012107 

(八)^ 

参考文献

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  • 加藤一二三『日本将棋大系 第14巻 坂田三吉・神田辰之助』(筑摩書房、1979年
    • 山本亨介「人とその時代十四(坂田三吉・神田辰之助)」(同書245頁所収)
  • 山本武雄『 改定新版「将棋百年」』(時事通信社、1976年
  • 棋士系統図(日本将棋連盟『将棋ガイドブック』96-99頁)

関連項目

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