芦部啓太郎
来歴
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長野県上伊那郡赤穂村[4][5]︵現駒ヶ根市︶で、芦部喜一郎、きくよ の四男として生まれた[1]。1919年︵大正8年︶北海道帝国大学附属水産専門部[注釈1]︵現水産学部︶卒業後、三菱商事に入社[1][4][5]。後に帰郷し、1923年︵大正12年︶赤穂公民実業学校︵現長野県赤穂高等学校︶の教諭に転じ[1][4][5]、1938年︵昭和13年︶同校長に就任し1948年︵昭和23年︶まで在任[5]。1948年︵昭和23年︶赤穂信用組合︵現アルプス中央信用金庫︶を設立して専務理事に就任し[4]、1951年︵昭和26年︶同理事長となり[1]1979年︵昭和54年︶まで在任した[5]。
1951年、赤穂町議会議長に就任[1]。1954年︵昭和29年︶赤穂町長選挙に当選し[1][4]、昭和の大合併では上伊那郡2町2村の新設合併を実現し、市制施行に伴い同年8月、初代駒ヶ根市長となり[1][2][4]、1955年︵昭和30年︶12月まで在任した[2]。
また、長野県信用金庫協会長、関東地区信用金庫協会長、全国信用金庫協会理事・副会長などを歴任し、全国規模での信用金庫の強化育成に尽力し[1][4][5]、駒ヶ根商工会議所会頭も務めた[1][5]。
1959年、駒ケ根市に天竜精機株式会社を設立、代表取締役。
栄典
編集伝記
編集- 芦部啓太郎先生八十八年誌刊行委員会編、伊那毎日新聞社編『巌上松柏:芦部啓太郎先生八十八年の歩み』芦部啓太郎先生八十八年誌刊行委員会、1984年。※県立長野図書館所蔵
脚注
編集注釈
編集- ^ 『長野県人名鑑』18頁では北大水産学科、『日本の歴代市長 第2巻』289頁では北大農学部水産学科、『長野県歴史人物大事典』27頁では北海道帝国大学水産学科。
出典
編集参考文献
編集- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店、1996年。