花火 (1931年の映画)
﹃花火﹄︵はなび︶は、1931年︵昭和6年︶製作・公開、伊丹万作原作・脚本・監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画である[1][2][3][4]。伏見直江・伏見信子姉妹の共演作である[1][2][3][4]。
花火 | |
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監督 | 伊丹万作 |
脚本 | 伊丹万作 |
原作 | 伊丹万作 |
出演者 |
片岡千恵蔵 伏見信子 伏見直江 |
撮影 | 石本秀雄 |
製作会社 | 片岡千恵蔵プロダクション |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 65分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
略歴・概要
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伊丹自身の回想によれば、本作の脚本は、1927年︵昭和2年︶10月、満27歳のころ、旧制・愛媛県松山中学校︵現在の愛媛県立松山東高等学校︶時代の先輩である伊藤大輔宅の食客となった際に、伊藤に言われて﹁しかたなく﹂書いたオリジナルシナリオを映画化したものである[5]。当時の伊藤家の食客には、俳優の香川良介、脚本家の中川藤吉がおり、伊丹は同月内にもう1作﹃伊達主水﹄を書き、これがのちに﹃放浪三昧﹄︵監督稲垣浩、1928年︶の題で映画化された[5]。
主演の片岡千恵蔵は本作の公開当時は満27歳[6]、伏見直江・信子姉妹はともに日活太秦撮影所に所属しており[7][8]、それぞれ満22歳、満15歳であり、姉・直江は芸妓綾吉を、妹・信子は千恵蔵の妹役をそれぞれ演じた[9][10]。自らのオリジナルシナリオを演出した伊丹は、公開当時満31歳になっていた。
2013年︵平成25年︶1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターも、マツダ映画社も、本作の上映用プリントを所蔵していない[11][12]。大阪芸術大学は同作の﹁33秒﹂のフィルム断片を発掘、所蔵しているが、これ以外の部分については現存していない[13]。本作の脚本については、1961年︵昭和36年︶11月15日に発行された﹃伊丹万作全集 第3巻﹄︵筑摩書房︶の最初に収録されている[14]。
スタッフ・作品データ
編集キャスト
編集脚注
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(一)^ ab花火 、日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
(二)^ ab花火、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月16日閲覧。
(三)^ ab花火、KINENOTE、2013年1月16日閲覧。
(四)^ abcdefgh花火、日活データベース、2013年1月16日閲覧。
(五)^ ab私の活動写真傍観史、伊丹万作、青空文庫、2013年1月16日閲覧。
(六)^ 世界大百科事典 第2版﹃片岡千恵蔵﹄ - コトバンク、2013年1月16日閲覧。
(七)^ 伏見直江 - 日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
(八)^ 伏見信子 - 日本映画データベース、2013年1月16日閲覧。
(九)^ 世界大百科事典 第2版﹃伏見直江﹄ - コトバンク、2013年1月16日閲覧。
(十)^ 伏見信子、jlogos.com, エア、2013年1月16日閲覧。
(11)^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月16日閲覧。
(12)^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月16日閲覧。
(13)^ ab花火、大阪芸術大学、2013年1月16日閲覧。
(14)^ 伊丹[1961], p.3.