菟原郡
日本の兵庫県(摂津国)にあった郡
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Hyogo_Ubara-gun.png)
郡域
編集歴史
編集古代
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菟原郡がはじめて歴史に見えたのは769年︵神護景雲3年︶である︵﹃続日本紀﹄︶。菟原の名は﹃和名抄﹄では﹁宇波良﹂、﹃伊勢物語﹄では﹁むはら﹂、﹃延喜式﹄では﹁菟原﹂、﹃拾芥抄﹄では﹁兎原﹂とも書いた。地名の由来は﹁海原﹂が転じたという説と六甲山の野原に兎が多く駆け巡っていたからという説がある︵道谷、1998[1]︶。
﹃和名抄﹄には﹁摂津国菟原郡宇波良︵うはら︶﹂とある一方、﹃万葉集﹄には﹁菟原﹂の表記の他に﹁菟名日﹂、﹁宇名比﹂︵うなひ、うない︶との表記がある。
式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
菟原郡 3座(並小) | |||||||
河内国魂神社 | カウチクニタマノ カフチ- |
小 | 鍬靫 | 河内国魂神社 | 兵庫県神戸市灘区国玉通 | [2] | |
大国主西神社 | オホクニヌシノ -ニシ |
小 | 鍬靫 | (論)大国主西神社 | 兵庫県西宮市社家町 | 西宮神社境内末社 | |
(論)越木岩神社 | 兵庫県西宮市越木岩町 | ||||||
保久良神社 | ホクラノ | 小 | 鍬靫 | 保久良神社 | 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑 | ||
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近世以降の沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領[2] | 30村 | 生田村、脇浜村、熊内村、中尾村、筒井村、●岩屋村、稗田村、小野新田村、水車新田、鍜冶屋村、畑原村、河原村、九郎右衛門新田、味泥村、○新在家村、徳井村、東明村、御影村、石屋村、住吉村、魚崎村、横屋村、田中村、田林新田、西青木村、東青木村、青木村、深江村、打出村、芦屋村 |
藩領 | 摂津尼崎藩 | 17村 | 中村、原田村、上野村、五毛村、森村、高羽村、平野村、郡家村、野寄村、田辺村、岡本村、小路村、北畑村、森村、津知村、三条村、○滝寺村 |
幕府領・藩領 | 幕府領・尼崎藩 | 2村 | 大石村、中野村 |
幕府領・下総古河藩 | 1村 | 篠原村 | |
旗本領・尼崎藩 | 1村 | 八幡村 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e1/Hyogo_Muko-gun_1889.png)
地名の由来
編集地名の由来はうさぎではなく、一説によれば南に広がる「海原」が転じて「莵原」になったといわれている[6]。
地名と文学
編集郡消滅後の影響
編集菟原郡は1896年に武庫郡に合併後も「うはら」という名称は東灘区に多くの施設やイベント名などに存在する(例:「うはらホール」、「東灘うはらまつり」など。)
行政
編集- 菟原郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月8日 | |||
明治13年(1880年)9月 | 廃官 |
- 武庫・菟原郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治13年(1880年)9月 | |||
明治29年(1896年)3月31日 | 武庫郡・八部郡との合併により菟原郡廃止 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 28 兵庫県、角川書店、1988年9月1日。ISBN 4040012801。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 魚崎町誌編纂委員会 編『魚崎町誌』魚崎町誌編纂委員会、1957年。
関連項目
編集先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 武庫郡 |