蕃良豊持
(蕃良豊村から転送)
経歴
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承和元年︵834年︶一族の陰陽允・葛井石雄と兵部少録・葛井鮎川が葛井宿禰姓から蕃良朝臣姓に改姓しており、豊持も同じく改姓したと想定される。承和9年︵842年︶右大史の官職にあったが、渤海使・賀福延を慰労するために鴻臚館へ派遣されている。仁明朝末の嘉祥2年︵849年︶外従五位下・大炊頭に叙任された。
仁寿元年︵851年︶備前権介として地方官に転じると、斉衡2年︵855年︶備前権介に再任、斉衡4年︵857年︶大和権介に遷任するなど、文徳朝では専ら地方官を務めた。
貞観元年︵859年︶内位の従五位下に叙せられると、貞観5年︵863年︶若狭守、貞観6年︵864年︶河内守と、清和朝でも引き続き畿内や近国の地方官を歴任している。また貞観6年︵864年︶には右大史・葛井宗之や兵部少録・葛井居都成らとともに菅野朝臣姓に改姓した。
官歴
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﹃六国史﹄による。
●承和元年︵834年︶11月7日‥葛井宿禰姓から蕃良朝臣姓に改姓
●時期不詳‥正六位上
●承和9年︵842年︶3月28日‥見右大史
●嘉祥2年︵849年︶ 正月7日‥外従五位下。2月27日‥大炊頭
●仁寿元年︵851年︶7月8日‥備前権介
●斉衡2年︵855年︶ 正月15日‥備前権介
●斉衡4年︵857年︶ 正月14日‥大和権介
●貞観元年︵859年︶11月19日‥従五位下︵内位︶
●貞観5年︵863年︶4月21日‥若狭守
●貞観6年︵864年︶ 正月16日‥河内守。8月17日‥蕃良朝臣姓から菅野朝臣姓に改姓
●貞観8年︵866年︶ 閏3月22日‥修理知識寺仏像別当