藤原純友
日本の官人・海賊
藤原 純友 | |
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時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 現・宇和島市? |
別名 | 南海の龍 |
官位 | 従五位下、伊予掾 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
父母 | 父:藤原良範[3] |
兄弟 | 純春、純美、純友、純乗、純正、純素、純行、純業 |
子 | 有信、紀年、伊王丸、真純 |
生涯
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出生地、故郷は現在まで不明だが、伊予国︵現在の愛媛県︶だという説が最も有力である。藤原氏の中で最も栄えた藤原北家の出身で大叔父には藤原基経がいるが、早くに父を失い、都での出世は望むべくもなく地方官となる。
当初は父の従兄弟である伊予守・藤原元名に従って伊予掾として、瀬戸内に横行する海賊を鎮圧する側にあった。帰任後に海賊追捕宣旨を賜り、承平6年︵936年︶3月頃に再度伊予国に下向した[6]。﹃日本紀略﹄承平6年6月某日条によれば、この頃海賊の頭領となり[注釈2]、伊予︵愛媛県︶の日振島を根城として千艘以上の船を操って周辺の海域を荒らし、やがて瀬戸内海全域に勢力を伸ばしたとされているが、実際には承平6年の時点では純友は海賊を追捕する側であったとするのが近年の研究動向である。
関東で平将門が乱を起こした頃とほぼ時を同じくして瀬戸内の海賊を率いて乱を起こし、藤原純友の勢力は畿内に進出、天慶2年︵939年︶には純友は部下・藤原文元に摂津国須岐駅において備前国・播磨国の介︵備前介・藤原子高、播磨介・島田惟幹︶を襲撃させ、これを捕らえた。翌天慶3年︵940年︶には、2月に淡路国・8月には伊予国と讃岐国の国府を襲撃し、略奪を行った。瀬戸内海を転戦し、天慶4年︵941年︶5月上旬には大宰府を陥落させた。
朝廷は純友追討のために追捕使長官・小野好古、次官・源経基、主典・藤原慶幸、大蔵春実による兵を差し向け、博多湾の戦いで、純友の船団は追捕使の軍により壊滅させられた。その後のことは純友に関する資料が乏しく現在まで詳細は不明な点が多い。同天慶4年6月に今日の宇和島で殺されたとも、捕らえられて獄中で病死したとも、あるいはそれらは国府の役人の捏造で真実は海賊の大船団を率いて南海の彼方へ消えていったとも言われている。
将門の乱がわずか2か月で平定されたのに対し、純友の乱は2年に及んだ。また、純友の合戦の様子は﹃純友追討記﹄として、追補使により政府への報告がなされたとされ、一部が﹃扶桑略記﹄に引用されている。
藤原純友を祀︵ ・愛媛県新居浜市の中野神社がある。
逸話
編集系譜
編集異説
編集脚注
編集注釈
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(一)^ 実際に、天慶3年︵940年︶2月、反乱を起こした純友を懐柔するために、朝廷は純友を従五位下に叙したとされる。
(二)^ ただし、この過程については、土着する過程で自らが海賊化したとする説[要出典]と、伊予に土着後に後任の伊予守である紀淑人に協力して海賊の帰順にあたっているうちにその信望を集めたものの紀淑人への不満から彼らに推されて指導者となったとする説がある[要出典]。
(三)^ ﹃姓氏家系大辞典﹄では肥前国の豪族である大村直の後裔とする。
(四)^ ﹃中秋記﹄、﹃中右記﹄、﹃百錬抄﹄などには元永2年︵1119年︶の出来事として関連する記事が見える。
出典
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(一)^ 松原 1999, p. 192.
(二)^ 寺内 2022, p. 163.
(三)^ 寺内 2022, p. 1.
(四)^ 洞院 1903, p. 76.
(五)^ abcdef﹃尊卑分脈﹄[4]
(六)^ 松原 1999, p. 130.
(七)^ ab福田 1995, p. 50.
(八)^ ﹃有馬系図﹄
(九)^ ﹃大村系図﹄
(十)^ ab亀井英希﹁藤原純友伝承に関する一考察﹂﹃研究紀要﹄第6巻、愛媛県歴史文化博物館、2001年3月、1-13頁、doi:10.24484/sitereports.119186-29551、CRID 1390573407598617984。
(11)^ ﹃姓氏家系大辞典﹄﹃蒲池物語﹄﹃筑後国史﹄。
参考文献
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●福田豊彦﹃東国の兵乱ともののふたち﹄︵吉川弘文館、1995年︶
●松原弘宣﹃藤原純友﹄︵吉川弘文館、1999年︶
●亀井英希﹁藤原純友伝承に関する一考察﹂︵﹃︵愛媛県歴史文化博物館︶研究紀要﹄第6巻、2001年3月︶
●寺内浩﹃藤原純友﹄︵ミネルヴァ書房、2022年︶
●太田亮﹃姓氏家系大辭典﹄ [要文献特定詳細情報]、角川書店、1963年11月。 NCID BN01488361。
洞院公定﹁国立国会図書館デジタルコレクション 長良卿流﹂﹃新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集﹄ 第7、吉川弘文館、東京︿故実叢書 ; 第3輯﹀、1903年。全国書誌番号:52010882。
藤原純友が登場する主な作品
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 藤原純友(築土神社 人物由縁)
- 『藤原純友』 - コトバンク