西嶋八兵衛
1596-1680, 江戸時代の土木技術家
略歴
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●1596年、遠江国︵現在の静岡県︶の浜松に生まれる。
●1612年、伊勢国︵現在の三重県︶津藩主藤堂高虎に仕える。
●1616年、大坂城修築工事に関わる。
●1624年、讃岐国︵現在の香川県︶高松藩主生駒高俊︵高虎の孫︶に招かれる。
●1627年、高松藩奉行に就任し、竜満池、小田池︵ともに高松市︶、福江大池を築く。
●1628年、400年以上廃池になっていた満濃池︵まんのう町︶の改修に着手し、山大寺池︵三木町︶を築き、三谷池︵三郎池、高松市︶を改修する。
●1630年、岩瀬池、岩鍋池を改修する。
●1631年、満濃池の改修が完了する。
●1635年、神内池を築く。
●1637年、香川郡香東川を付け替え、東の流れの跡地に栗林荘︵栗林公園の前身︶の築庭を行い、高松東濱から新川まで堤防を築き、屋島、福岡、春日、木太新田を開墾する。
●1639年、一ノ谷池︵観音寺市︶が完成し、伊勢国に帰郷する。讃岐では、90あまりのため池を築く。
●1645年、津藩の江戸家老加判役となり、1000石を領する。
●1646年、藩主藤堂高次に伴って伊勢に帰国し、ため池の新設・修理を行なう。
●1647年、伊賀国の新田開発を行なう。
●1648年、津藩の城和加判奉行となる。
西嶋八兵衛の墓(伊賀市指定史跡・伊賀市正崇寺) 1658年、伊賀奉行となって伊賀国上野へ転居するが、城和加判奉行・中小路五郎右衛門の急逝により、その後任として再び城和加判奉行に就任。
●1677年、城和加判奉行を致仕して引退。
●1680年、伊賀国上野にて85歳で死去する。
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