酋長
語源
編集用例
編集アミール
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大酋長
編集アメリカ・インディアンの酋長
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インディアンの場合の﹁酋長﹂は、﹁チーフ︵Chief︶﹂の訳語として用いられている。
文字を持たない合議制社会であるインディアン社会では、気前がよく、また弁舌に長けた者が周囲から認められて初めて酋長となった。個人が誰かに任命されたり、他者を押しのけて就任したりするようなものではない。その役割は、あくまで﹁調停者﹂、﹁世話役﹂、あるいはむしろ﹁奉仕者﹂であって[4]、﹁司令官﹂や﹁指導者﹂、﹁首長﹂というような権力者ではなく、他者を従属させるとか命令するとかいった権限は持っていない。インディアンにおける﹁酋長﹂を、アフリカの部族社会における酋長のような、﹁合議制に対立する独任制の長官﹂である﹁首長﹂と訳するのは誤りである。﹁部族を代表する長﹂でもないから、﹁部族長﹂という表現も正しくない。
クリストファー・コロンブスが、バハマ諸島に上陸した際に、初めて出会ったインディアン達のなかの﹁チーフ﹂を、﹁指導者﹂と思い込んだこの誤解は、その直後のコロンブス自身によるインディアンへの大虐殺の中で、酋長への残酷な拷問や拉致に繋がった[5]。コロンブスは﹁酋長﹂を制すれば部族民は屈服すると考えたのである。
しかし、白人が考えるような﹁全部族民を統率する大酋長﹂というような絶対権力者的存在は、そもそも過去にも現在にもインディアン社会は持っていない。ハリウッド西部劇映画に登場するような﹁全部族民を統率する大酋長︵Grand Chief︶﹂であるとか、﹁戦士たちを率いる戦争酋長︵War Chief︶﹂などといったものは、実際には存在しない。これはすべて白人がアフリカの部族や、自分たちの政治体制を基にインディアン文化を解釈しようとして生まれた誤解である。しかしこの誤解が、白人とインディアンとの軋轢を生み、﹁インディアン戦争﹂を激化させた。白人は酋長と盟約すればすべての部族民や戦士たちが盲従すると考えたのである。しかしこれは上述したように白人の単なる思い込みである。戦士たちを頭ごなしにした白人の態度は、インディアン戦士たちをただ怒らせるだけだった[6]。
アメリカインディアン、スー族の権利運動家であり、俳優でもあるラッセル・ミーンズ︵Russell Means︶は、自身が﹁酋長﹂役で出演したハリウッド映画﹃ラスト・オブ・モヒカン﹄︵1992年︶についてのインタビューで、強権的なインディアン酋長と、これに服従する部族民の描写について、﹁まるでハリウッド映画のステレオタイプな“アフリカの村”だ﹂とその不自然さを笑っている[7]。
脚注
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(一)^ ab牛津簡明英漢詞典: ABC輕鬆學英語. 谷月社. (2015). p. 103, 923-924
(二)^ abc"emir". Cambridge English-Chinese (Simplified) Dictionary. Cambridge University Press. 2020年2月21日閲覧。
(三)^ “驻阿拉伯联合酋长国大使馆”. 中華人民共和国外交部. 2020年2月21日閲覧。
(四)^ ﹃Readings in Jurisprudence and Legal Philosophy﹄Felix S. Cohen、1952年︶
(五)^ ﹃American Holocaust: The Conquest of the New World﹄︵David E.Stannard、1992年︶
(六)^ ﹃CRAZYHORSE﹄︵Larry McMurtry、Penguin LIVES︶
(七)^ ﹃Entertainment Weekly﹄︵1992年10月23日付記事、﹁Acting Against Racism﹂︶