金鵄
神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄
金鵄︵きんし︶は、﹃日本書紀﹄に登場し、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6b/Emperor_Jimmu.jpg/250px-Emperor_Jimmu.jpg)
月岡芳年﹃大日本名将鑑﹄より﹁神武天皇﹂。神武天皇の弓の先に止まっ た金鵄が光を放ち、長髄彦軍の兵の目をくらませている。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6b/Emperor_Jimmu.jpg/250px-Emperor_Jimmu.jpg)
概要
編集
﹃日本書紀﹄の記述では、東征を進める彦火火出見︵後の神武天皇︶が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この霊鵄を指して﹁金鵄﹂と呼ぶ。
ただし、﹃古事記﹄に金鵄は登場せず、神武東征の際に熊野から大和へ東征軍を道案内した八咫烏と混同、あるいは同視されることが多い。金鵄と八咫烏が同一であるか、それとも別の存在であるかはっきりしないが、いずれにしろ日本建国に関わった霊鳥として、吉事や勝利あるいは建国の代名詞として使われ、特に大日本帝国時代には金鵄勲章をはじめ、意匠や名称が多方面で採用された。
また、平安時代から存続する賀茂神社においては、金鵄および八咫烏ともに、賀茂建角身命の化身とされており、この二つを合わせて﹁金鵄八咫烏﹂と呼び祀っている[1]。
霊鵄形大錦旛
編集商品に使われた金鵄
編集
金鵄は戦わず光威徳で敵を降伏せしめた日本神話から、大変に縁起が良いとして明治以降、商品などに使用された。特に日本酒に多く、造り酒屋の金鵄盃酒造[2]やキンシ正宗の﹁金鵄正宗﹂などがある[3]。これらは、金鵄に化身したとされる賀茂一族の神社、賀茂御祖神社に献上されている。
また、紙巻きたばこの﹁ゴールデンバット﹂は、戦時中の敵性語追放の動きを受けて、1940年︵昭和15年︶から1949年︵昭和24年︶まで﹁金鵄﹂に改名されていた。
1941年︵昭和16年︶のパッケージには当初、神武天皇の弓が描かれていたが、これを捨てたり踏みつけることは不敬であるとの批判を受け、デザインの変更を余儀なくされたことがある[4]。
金トビ志賀(製粉製麺業)の創業者である志賀八五郎は、空高く舞うトビの姿に事業の夢を重ね、小麦粉のマークを﹁トビ印﹂と定め、ふるさと名古屋の誇りである﹁金鯱︵きんのしゃちほこ︶﹂と、神武天皇の﹁金鵄︵きんとび︶﹂の故事にならい、最高品質の小麦粉を﹁金トビ﹂と名づけて売り出した。[5]
関連項目
編集
●日本の神の一覧
●橿原神宮
●八咫烏
●金鵄勲章
●明けの明星
●水陸機動団 (陸上自衛隊) - 部隊章に金鵄と天叢雲剣が使われている。
●アールパード - ハンガリー建国者。建国時にトゥルルという輝く鳥が来て止まったという、金鵄と同様の伝説がある。
脚注
編集- ^ 御祭神と御神徳下鴨神社(賀茂御祖神社)公式サイト
- ^ 金鵄盃酒造
- ^ 「金鵄正宗」キンシ正宗
- ^ 「おおぞらとは読まぬ デザイン変更でケリ 印刷済みの1億個は売る」『朝日新聞』昭和48年(1973年)2月16日朝刊、13版、3面
- ^ “会社案内 | 金トビ志賀オフィシャルサイト” (2018年7月25日). 2024年5月1日閲覧。
外部リンク
編集
●宮内庁﹁京都御所と離宮の栞(しおり) -京都御所-﹂ - 約100年前に行われた大正天皇御大礼。大正天皇即位の礼に使われた﹁金鵄をかたどった霊鵄形大錦旛﹂の配置(p2)および現物写真(p3)が掲載してある(PDF)。一部、金鵄と縁が深い神社で掲載されている金鵄(霊鵄形大錦旛)のレプリカは、これらを元にしてある。
ウィキメディア・コモンズには、金鵄に関するカテゴリがあります。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Commons-logo.svg/12px-Commons-logo.svg.png)