鈴木真一 (写真家)
1835–1919, 写真家
鈴木 真一(すずき しんいち、1835年〈天保6年〉 - 1918年〈大正7年〉)は、幕末・明治時代の写真家。弟子の岡本圭三(1859-1912)に2代目鈴木真一の名前を継がせた後は鈴木真と名乗っている[1]。
すずき しんいち 鈴木 真一 | |
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別名義 | 鈴木 真、高橋姓 |
生年月日 | 1835年 |
没年月日 | 1918年 |
出生地 |
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職業 | 写真家 |
ジャンル | 写真 |
活動内容 | 銀板写真の撮影、技術開発 |
著名な家族 | 鈴木金次郎(長男) |
略歴
編集生涯
編集女子写真伝習所
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女子美術学校の写真学科増設に賛同したものの計画が見送られたため、1902年に弟子の河村勇次とともに牛込西五軒町に女子写真伝習所を設立した[3]。明治期において、同校は女性に写真術を教える唯一の教育機関であり、女子写真学校とも通称された[4][3]。2年制の本科の入学資格は尋常小学校を卒業した満14歳以上とし、写真技術のほかに普通科の授業も履修、また経験者対象の研究科や2ヶ月修了の速成科のほか、まとまった通学時間が取れない場合の随意科が用意された[4]。月謝は1円、その他実費が2、3円かかるところ、経済的に苦しい学生対象に奨学制度を設けること、写真館の就職には修正の技術者が求められ、女性の雇用が期待できると鈴木たちの学校を紹介した編者は述べている[4]。女子の入学者が少なかったため、男子の入学も認められた[3]。
脚注
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(一)^ ab森重和雄 (pdf). 第33回 鈴木真一 その4. 幕末明治の写真師列伝. 日本カメラ財団.
(二)^ “御写真撮影”. 東京日日新聞. (1889年7月16日)
(三)^ abc﹃編集者国木田独歩の時代﹄黒岩比佐子、角川学芸出版, 2007 、p275-276
(四)^ abc﹁写真師﹂﹃新撰女子就業案内 : 附・名家譚叢﹄菅原臥竜 (晨亭) [編]、便利堂、東京、1906年、88-91頁 (コマ番号48-49)頁。2018年6月16日閲覧。
参考文献
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●橋本繁 [稿]﹁女子写真学院﹇牛込西五軒町﹈﹂﹃風俗画報﹄第282号、1904年1月25日。
●斎藤 多喜夫﹃幕末明治横浜写真館物語﹄175号、吉川弘文館︿歴史文化ライブラリー﹀、2004年。ISBN 978-4642055758。 NCID BA6641623X。
外部リンク
編集- 鈴木真一の略歴 静岡伊豆松崎町役場ホームページ — (アーカイブ)
- 鈴木真一の写真 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース — 長崎大学付属図書館
- 鈴木真一の写真 — メトロポリタン美術館収蔵品より
- 幕末明治の写真師列伝 鈴木真一(1)(2)(3)(4)(5)(6)森重和雄、一般財団法人日本カメラ財団
- 『幕末・明治の写真師』総覧