阿津賀志山の戦い(あつかしやまのたたかい)は、文治5年(1189年)に鎌倉幕府創設期の源頼朝軍と、迎え撃つ奥州藤原氏の軍が陸奥国阿津賀志山(厚樫山、現福島県伊達郡国見町辺り)で戦った合戦である。

阿津賀志山の戦い
戦争:奥州合戦
年月日文治5年(1189年)8月8日
場所陸奥国阿津賀志山(厚樫山、現福島県伊達郡国見町辺り)
結果: 鎌倉軍の勝利
交戦勢力
鎌倉政権 奥州藤原氏
指導者・指揮官
源頼朝
畠山重忠
小山朝光
藤原泰衡
藤原国衡
戦力
25,000以上 20,000
損害
壊滅

概要

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背景

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源義経を自害させて鎌倉幕府との和平の意思を示した藤原泰衡だが、鎌倉幕府による全国統治を進める源頼朝は、文治5年(1189年)に奥州藤原氏の討伐のため鎌倉を出立する。

両軍の兵力と編成、対峙

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3沿71925,000

3km

奥州軍の敗北

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87808610退



1013退

後日談

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229312310

関連項目

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