飛鳥井雅四
大日本帝国陸軍軍人。陸軍少将。
飛鳥井 雅四(あすかい まさし、1885年〈明治18年〉12月4日[1] - 1974年〈昭和49年〉7月25日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
飛鳥井 雅四 | |
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生誕 |
1885年12月4日![]() |
死没 | 1974年7月25日(88歳没) |
所属組織 |
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軍歴 | 1906年 - 1935年 |
最終階級 |
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経歴
編集
1885年︵明治18年︶に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期[1]、陸軍砲工学校高等科第16期︵優等︶卒業[2]。1914年︵大正3年︶に、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した[2][3]。
イギリス駐在を経て[2]、1928年︵昭和3年︶8月に陸軍通信学校研究部主事に就任し[2]、1930年︵昭和5年︶3月6日に陸軍工兵大佐に進級[2]、8月1日に電信第2連隊長に転じた[2]。1932年︵昭和7年︶4月に近衛師団司令部附となり[2]、日本大学に配属された[2]。
1933年︵昭和8年︶8月に陸軍砲工学校教官に転じ[2]、1934年︵昭和9年︶8月1日に陸軍少将に進級と同時に津軽要塞司令官に着任[1][2]。1935年︵昭和10年︶8月1日に待命[1]、8月28日に予備役に編入された[1]。
1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。