1953年のメジャーリーグベースボール

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MLB1953

1953413105210520

425



1952 - 1953 - 1954

できごと

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105213(.33612642(.3121424140(.30212231120(.3299512(.344922135MVP(.2716113).2852(44

518188.55105.304.2959221.33614543.3371MVP

退1941194719491952195352412.50082

ステンゲル監督の采配

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192019364194954196119641998200031927193919611998194919535

51951(164)1952(2.06164)1953( 2.42)MVP519501951

1956(4950)30953殿5

MM605(5195419554(2195919605(21949196416149退

5連覇時代に活躍した選手

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51950MVP退(1994殿


519641951MVP(1972殿


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史上最長のホームラン

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この年の4月17日、ワシントンのグリフィススタジアムで行われたセネタース対ヤンキースの試合で5回表ヤンキースの攻撃で二死からヨギ・ベラが四球で出塁し、ミッキー・マントルが右打席に立った。セネタースの投手は左腕チャック・スタッブスで、1球目ボールの後の2球目の速球をマントルが叩くと打球はグングン伸びて左中間のフェンスを超え、スタンドの後方のフェンスを超え、そのフェンスの上に取り付けてあったフットボールの最上部より上の部分に当たって見えなくなった。かつてない超特大ホームランに、当時ヤンキースの広報担当だったレッド・パターソン(後のドジャース副会長そしてエンゼルス会長となった)がすぐに巻き尺(テープ)を持って左中間場外の所へ行くと、遊んでいる少年がボールを持っていたので、落下地点を聞いて巻き尺で測り、球場見取り図と併せて調べた結果、565フィート(172メートル)であった。巻き尺で計測して正確に特大本塁打の距離を測った例は他になく、いまだにこれを超える本塁打は出ていない。以後巻き尺で測るくらいの大ホームランを「テープ・メジャー・ショット」と呼ぶようになった。

ミッキー・マントルには、これ以外にも1956年にヤンキースタジムのライト3階席の屋根の場外まであと1~2フィートの所にぶち当たり、これが追い風であれば場外に出たであろうと言われている。また1960年にタイガースタジアムでの対タイガース戦で640フィート(195メートル)あったととされて、これがギネスブックに「史上最長本塁打」として掲載されている。

監督交代

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本拠地移転

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ブレーブスの移転

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3月18日に開かれたナショナルリーグのオーナー会議で、ボストン・ブレーブスが本拠地をミルウォーキーに移すことを決定したと突如発表した。ルー・ペリーニもビル・ベックと同じく前年に28万人に落ち込んだ観客動員数の低迷に悩まされて同じ都市に球団が2つあることの不利益を感じていた。ボストンでは後発のレッドソックスが人気が高く、歴史は古いがブレーブスは後塵を拝していた。そして移転に際しても移転先の球場を建設する資金力も無かったが、元々ミルウォーキー市にブレーブスのマイナー球団を置いていたことで市が500万ドルで球場も駐車場も建設しメジャー球団の誘致に動いたことから、ミルウォーキー市の施設のすべてに依存して球団がそこに乗り込む形でブレーブスの移転を決断した。ペリーニは「野球と自治体との提携」という言葉を使った。そしてミルウォーキーにあったAAA級のアメリカンアソシェーションの球団をトレドに移転させて、5万ドルの損害賠償を約束した。この移転は大成功で最初の13試合に30万2,667人を集め、この時点で前年の総動員数を上回り、最終的には182万6,397人の年間動員数に達し、これはリーグの最高記録であった。そしてルー・ペリーニは前年の45万9,099ドルの赤字からこの年は63万7,798ドルの黒字に転換することに成功した。このブレーブスの本拠地移転の成功から、翌年から加速がついた。

ブラウンズの移転

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第三リーグ創設の提案

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トゥールソン訴訟

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記録

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  • この年4月18日にデビューしたばかりのセントルイス・ブラウンズのボボ・ホロマン投手が、5月6日にフィラデルフィア・アスレチックスを相手にノーヒットノーランを達成した。しかしボボ・ホロマン投手はその後7月19日を最後にマイナーリーグに落ち、彼が再びメジャーリーグに戻ってくることはなかった。

最終成績

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レギュラーシーズン

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アメリカンリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・ヤンキース 99 52 .656 --
2 クリーブランド・インディアンス 92 62 .597 8.5
3 シカゴ・ホワイトソックス 89 65 .578 11.5
4 ボストン・レッドソックス 84 69 .549 16.0
5 ワシントン・セネタース 76 76 .500 23.5
6 デトロイト・タイガース 60 94 .390 40.5
7 フィラデルフィア・アスレチックス 59 95 .383 41.5
8 セントルイス・ブラウンズ 54 100 .351 46.5

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ブルックリン・ドジャース 105 49 .682 --
2 ミルウォーキー・ブレーブス 92 62 .597 13.0
3 フィラデルフィア・フィリーズ 83 71 .539 22.0
4 セントルイス・カージナルス 83 71 .539 22.0
5 ニューヨーク・ジャイアンツ 70 84 .455 35.0
6 シンシナティ・レッズ 68 86 .442 37.0
7 シカゴ・カブス 65 89 .422 40.0
8 ピッツバーグ・パイレーツ 50 104 .325 55.0

オールスターゲーム

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  • アメリカンリーグ 1 - 5 ナショナルリーグ

ワールドシリーズ

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  • ヤンキース 4 - 2 ドジャース
9/30 – ドジャース 5 - 9 ヤンキース
10/1 – ドジャース 2 - 4 ヤンキース
10/2 – ヤンキース 2 - 3 ドジャース
10/3 – ヤンキース 3 - 7 ドジャース
10/4 – ヤンキース 11 - 7 ドジャース
10/5 – ドジャース 3 - 4 ヤンキース

個人タイトル

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アメリカンリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 ミッキー・バーノン (WS1) .337
本塁打 アル・ローゼン (CLE) 43
打点 アル・ローゼン (CLE) 145
得点 アル・ローゼン (CLE) 115
安打 ハービー・キーン (DET) 209
盗塁 ミニー・ミノーソ (CWS) 25

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ボブ・ポーターフィールド (WS1) 22
敗戦 ハリー・バード (PHA) 20
防御率 エド・ロパット (NYY) 2.42
奪三振 ビリー・ピアース (CWS) 186
投球回 ボブ・レモン (CLE) 286⅔
セーブ エリス・カインダー (BOS) 27

ナショナルリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 カール・フリロ (BRO) .344
本塁打 エディ・マシューズ (ML1) 47
打点 ロイ・キャンパネラ (BRO) 142
得点 デューク・スナイダー (BRO) 132
安打 リッチー・アシュバーン (PHI) 205
盗塁 ビル・ブルトン (ML1) 26

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ロビン・ロバーツ (PHI) 23
ウォーレン・スパーン (ML1)
敗戦 マーリー・ディックソン (PIT) 19
ウォーレン・ハッカー (CHC)
防御率 ウォーレン・スパーン (ML1) 2.10
奪三振 ロビン・ロバーツ (PHI) 198
投球回 ロビン・ロバーツ (PHI) 346⅔
セーブ アル・ブラジル (STL) 18

表彰

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全米野球記者協会(BBWAA)表彰

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シーズンMVP

最優秀新人賞

その他表彰

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ベーブ・ルース賞

BBWAA投票

ベテランズ委員会選出

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』第6章 試練と苦悩の始まり(ブレーブスの移転・ボルチモアとカンザスシティ)159-165P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
  • 『アメリカ・プロ野球史』第6章 試練と苦悩の始まり(西部への進出)  171P参照
  • 『アメリカ・プロ野球史』第6章 試練と苦悩の始まり(セラ法案)  176-177P参照
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1953年≫ 112P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『スポーツ・スピリット21 №11 ヤンキース最強読本』≪歴代ヤンキースの名選手・打者篇≫58-60P参照 2003年6月発行 ベースボールマガジン社
  • 『スポーツ・スピリット21 №11 ヤンキース最強読本』≪歴代ヤンキースの名選手・投手篇≫72-73P参照
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000(1953年) 102P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
  • 『野球は言葉のスポーツ』≪さすらい人たち≫ 183-185P参照   伊東一雄・馬立勝 著  1991年4月発行 中公新書
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 ヤンキース王朝の系譜  23-25P参照 
  • 『誇り高き大リーガー』≪ドン・ラーセン≫ 八木一郎 著  176P参照 1977年9月発行 講談社
  • 『月刊メジャーリーグ 12月号(2003) ワールドシリーズ栄光の1世紀』≪最強ヤンキース不滅の5連覇≫ 34-37P参照 加藤和彦 著 2003年12月発行 ベースボールマガジン社
  • 『オールタイム大リーグ名選手101人』≪ミッキー・マントル≫ 178-179P参照 1997年10月発行  日本スポーツ出版社
  • 『メジャーリーグ30球団観戦全百科』≪ニューヨーク・ヤンキースの歴史≫ 10-11P参照 1999年5月発行 日本スポーツ出版社
  • 『実録 メジャーリーグの法律とビジネス』59-61P参照(トゥールソン訴訟) ロジャー・I・エイブラム著 大坪正則 監訳 中尾ゆかり 訳  2006年4月発行 大修館書店

関連項目

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外部リンク

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