ffss
デッカ・レコードのステレオ録音商標
ffss︵エフエフエスエス、Full Frequency Stereophonic Sound; 全周波数立体音響︶は、英デッカ=ロンドン・レコードのステレオ録音レコードのネーミングおよび登録商標。
ffssの表記があるレコード・レーベル面。ベートーヴェン‥ピアノ協奏曲第5番﹁皇帝﹂ クリフォード・カーゾン︵ピアノ︶、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、1957年6月10日~15日録音。
概略
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英デッカは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPを、1949年には高音質LPを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英デッカはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトを1952年頃から立ち上げ、1953年にはディスクカッターを使った同社初のステレオ実験録音を、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてこのffssが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、﹁ステレオはロンドン﹂というイメージを決定づけた。
歴史
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●1952年頃 英デッカのエンジニア、アーサー・ハディーが、同社内に一本溝によるステレオレコード制作のプロジェクトを立ち上げる。
●1953年
●3月 ハディーが、ステレオ録音の研究に携わったことがあるロイ・ウォーレスを英デッカに入社させる。
●11月4日 英デッカのハンプステッド・スタジオにて、ステレオ録音の実験を開始。録音媒体は、自社で開発した垂直-水平(V-L)方式︵後にステレオ・レコードの正式規格となった45/45方式とは違う方式︶によるディスク・カッターだった︵マントヴァーニ楽団の演奏を録音︶。
●1954年
●4月 ウォーレスが6チャンネル入力、2チャンネルステレオ出力によるステレオ・ミキサー、ST2を完成させる。
●4月 米アンペックス社製のプロ用ステレオ・テープ・レコーダー﹁350 Model 1﹂を導入。[1]
●5月12日 スイスのジュネーブにあるビクトリア・ホールにて、米アンペックス社のステレオ・テープ・レコーダー(350 Model 1)を使い、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番﹁アンタール﹂第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、﹁文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。﹂の一声で、翌日の実用化試験録音の開始が決定する。[2]
●5月13日 同上の録音場所、録音設備、演奏者、曲目により、ステレオの実用化試験録音が開始される。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。[3]
●7月~8月 イタリアのローマにあるサンタ・チェチーリア国立アカデミアにおいて、歌劇のステレオ録音を開始する。[4]
●9月 フランスのパリにあるMaison de la Mutualiteにて、パリ音楽院管弦楽団とのステレオ録音を行う。[5]
●1955年
●1月(?) ステレオ録音の増加に伴い、2代目のステレオミキサー︵ST2型︶を完成させる。
●2月 ベオグラードで歌劇のステレオ録音を行う。[6]
●5月16日 オーストリアのウィーンのRedoutensaalにて、同社と専属契約をしているウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのステレオ録音を開始︵カール・ベーム指揮によるモーツァルトの歌劇﹁コジ・ファン・トゥッテ﹂︶。この時、それまでウォーレスの助手をしていたジェームス・ブラウンが、正式にステレオ録音エンジニアとしてデビューする。
●7月 当時の西ドイツのバイロイト祝祭劇場でのバイロイト音楽祭にて、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇﹁ニーベルングの指環﹂全4部作を録音する︵ヨーゼフ・カイルベルト指揮によるが、独唱者の当時のレコード会社の契約関係の問題により発売は見送られ、2006年にようやくテスタメント社から発売される︶。
●11月頃 ウィーンでの自社の新たな録音スタジオを、ステレオ録音に適したソフィエンザールに移行することを正式決定する︵以来1986年6月まで、﹁ニューイヤーコンサート﹂のライブ録音を除き、そこは同社のウィーンでの録音スタジオとなった︶。
●12月 英国のキングスウェイ・ホールにて、英国内での正式のステレオ録音が開始される。[7]
●1956年
●春 当時の西独テルデック社と共同で、V-L方式による一本溝のステレオ・レコードのシステム開発を開始する。
●9月4日 同社と新たに提携関係に入った米RCAビクター向けのステレオ録音を開始︵初めの録音は、ウィーンのソフィエンザールでの録音だった。[8]︶。
●11月下旬 ロンドンを拠点とした新たなステレオ録音チームが組織される。
●1957年
●2月 同社のエンジニアであるケネス・ウィルキンソンが、ロンドンを拠点としたステレオ録音チームに移動。これが後に、同社のffssレコード制作において大きな影響を与えることとなる。
●秋頃 米のステレオ・レコードの標準規格を決めるプレゼンテーション・デモにて、自社のV-L方式によるステレオ・レコード・システムの試作品を初めて公開する。
●1958年
●1月頃 ヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、自社と西独テルデック社で共同開発したV/L方式を断念し、45/45方式の採用を決定。西独テルデック社に45/45方式のステレオ・カッターを注文する。
●春頃 西独テルデック社から、注文した45/45方式のステレオ・カッターが納入される。
●7月 ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式によるステレオ・レコードの発売を英米にて開始[9]。ffssをキャッチ・フレーズとして、自社のステレオ録音の優秀性をアピールする。また、ステレオ・レコードのカッティングに於いては、世界初のハーフ・スピード・カッティングを行った︵1968年のノイマン社のSX-68の導入以前まで続けられた︶。
●9月24日 ウィーンのソフィエンザールにて、ゲオルク・ショルティ指揮、ウィーン・フィル他によるワーグナーの楽劇﹁ニーベルングの指輪﹂全4部作のスタジオ録音を開始する。最初の録音は﹁ラインの黄金﹂。1965年に﹁ワルキューレ﹂を最後に全曲録音を完了する。
●1959年
●2月28日 日本のキングレコードから、英デッカ=ロンドンのffssレコードが初めて発売される。いずれも日本の音楽、オーディオ雑誌等から高い評価を得た。いずれも原盤を所有する英デッカの輸入メタル原盤からプレスされた。[10]
●秋頃 前記のウィーンでの録音による﹁ラインの黄金﹂︵レコード番号:SXL-2001~3︶が発売され、ffssの素晴らしいステレオ録音の名声を完全に決定づけた。
脚注
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(一)^ この録音機は、現在では当たり前である、左右各チャンネルの録音ヘッドの位置が同じで、1トラックのモノラル録音テープとの互換性があり、手切り編集可能のスタック︵インライン︶型ヘッド仕様である。当時はこの仕様は余りにも高価だったため、プロのレコード制作、映画制作関係を除く一般のステレオ録音は、左右各チャンネルのヘッドの位置が違うスタガー型のステレオ・テープ・レコーダーで録音するのが多かった。
(二)^ 翌日から行われたこの曲の録音を入れたCD︵CD番号:UCCD-6035、日本のユニバーサルミュージックから2002年4月24日発売︶の解説書に記載されている。
(三)^ この時のセッション録音からは、前記の交響曲第2番﹁アンタール﹂の他に、グラズノフの交響詩﹁ステンカ・ラージン﹂、バラキレフの交響詩﹁タマール﹂、リャードフの﹁8つのロシア民謡﹂と交響詩﹁ババ・ヤガー﹂﹁キキモラ﹂、ドビュッシーの神秘劇﹁聖セバスチャンの殉教﹂が後にステレオLPにて発売された。ただし、これらの録音は詳細な録音日が不明なために、デッカでは以前、これらの録音については全て﹁1954年6月録音﹂と表示していたが、2013年に入ると、﹁1954年5月録音﹂と表記されるケースが出てきた。
(四)^ この時、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団の演奏で、歌劇﹁オテロ﹂﹁椿姫﹂︵以上ヴェルディ︶、﹁マノン・レスコー﹂︵プッチーニ︶の3作品がステレオにて収録された。指揮はアルベルト・エレーデ︵オテロ︶、フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ︵椿姫、マノン・レスコー︶がそれぞれ担当した。
(五)^ エルネスト・アンセルメとアルベール・ヴォルフの指揮によるスタジオ・セッション録音で、前者による指揮ではリムスキー=コルサコフの﹁シェヘラザード﹂、ラフマニノフの交響詩﹁死の島﹂、ラヴェルの﹁ボレロ﹂等を、後者ではオベールの歌劇序曲集4曲が録音された。
(六)^ チャイコフスキーの﹁スペードの女王﹂他を録音。
(七)^ クリフォード・カーゾン︵ピアノ︶、エイドリアン・ボールト指揮のロンドン交響楽団による、フランクの﹁ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲﹂が録音されている。
(八)^ 初めの録音は、フリッツ・ライナー指揮、ウィーン・フィルによるもので、曲目は、R・シュトラウスの交響詩﹁ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら﹂、﹁死と変容﹂だった。
(九)^ ffssレコード第1回発売は、英がチャイコフスキーの管弦楽曲集︵﹁序曲1812年﹂、﹁イタリア奇想曲﹂、﹁スラヴ行進曲﹂の3曲、演奏はケネス・オルウィン指揮によるロンドン交響楽団。1958年5月録音。レコード番号:SXL-2001︶など。米がロンドン・レーベルでの発売で、メンデルスゾーンの﹁夏の夜の夢﹂組曲︵ペーター・マーク指揮によるロンドン交響楽団。1957年2月録音。レコード番号:CS-6001︶ほか。ちなみに米での英デッカ原盤の音源については、しばらくの間モノラルのffrrレコードも含め、盤の製造まで英デッカの工場にて行っていた。
(十)^ 日本でのffss第1回発売は以下の5枚で、いずれも12インチ=30cmLP。クラシックがヴィヴァルディの﹁四季﹂︵演奏はカール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団。1958年5月録音。レコード番号:SLB-1︶とリムスキー=コルサコフ作曲の﹁シェヘラザード﹂︵演奏は、エルネスト・アンセルメ指揮パリ音楽院管弦楽団。1954年9月22日録音。レコード番号:SLB-2︶の2枚︵いずれも発売当時の﹁レコード芸術﹂誌推薦。ステレオ・レコードでは同誌初の推薦盤となった︶。ポピュラーが、エドムンド・ロス楽団による﹁ブロードウェイのロス﹂︵ブロードウェイのミュージカルの音楽集。レコード番号:SLC-1︶、マントヴァーニ楽団による﹁シュトラウス・ワルツ・アルバム﹂︵ワルツ王ヨハン・シュトラウス一家のワルツのマントヴァーニ独自による編曲版。レコード番号:SLC-2︶の2枚。そしてステレオ・デモンストレーション盤として、﹁ffssステレオの旅 (A Journey Into Stereo Sound)﹂︵音楽と効果音によるオムニバス・アルバム。レコード番号:SZ-0︶が発売された。発売当時の価格は、クラシックが1枚2,800円、ポピュラーが1枚2,500円、デモ盤が1枚1,500円だったが、翌年には、クラシックが1枚2,300円に、ポピュラーが1枚2,000円にそれぞれ値下げされた。2000年頃に出た﹁レコード芸術﹂誌の﹁日本レコード史﹂によると、特に﹁四季﹂は、SLB-1の番号だけでもクラシック・レコードに於いて当時としては異例の2万枚も売り上げたと書かれている。
参考文献
編集- Full Frequency Stereophonic Sound(Robert Moon、Michael Gray共著)
- The RCA Bible(Jonathan Valin著、The Music Lovers Press刊)
- リムスキー=コルサコフ 交響曲第2番「アンタール」他(エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団)のCD解説書(CD番号:UCCD-6035、日本のユニバーサルミュージックから2002年4月24日発売)
- 「レコード芸術」1959年2月号、3月号など