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うるまの島︵うるまのしま、うるま︶は、沖縄県の雅称。宇流麻とも当て字される。
概要
用語としての初出は、平安時代の歌人藤原公任の千載集に載せられた歌、﹁おぼつかなうるまの島の人なれやわが言の葉を知らず顔なる︵心もとないことだ。うるまの島の人だからだろうか、わたしの贈った和歌に知らぬ顔をしているのは︶﹂とされる。
この場合﹁うるまの島の人のここに放たれて来てここの人の物言ふを聞きも知らでなんあるといふ頃返事せぬ女に遣はしける︵うるまの島の人が日本に漂流してきて、日本人の言葉を聞いてもわからないでいるという評判の頃に、返歌をしない女に送った歌︶﹂と前書されてあり、ここでの﹁うるま﹂が朝鮮半島領の鬱陵島︵ウルルン島︶であることは、古典文学、和歌研究者の間での定説である。
これが後に、辺境の異邦人の島の代名詞となり、異郷の島の呼び名となった。
室町時代には、当時の琉球国が室町幕府に遣使し、本土との交易を行ったころから、辺境の島としての﹁うるま﹂が沖縄を指すようになり、
安土桃山時代に里村紹巴が﹃狭衣物語﹄の注釈書﹃下紐﹄に﹁琉球をうるまの島と云と也﹂と書いて定着したものと考えられ、江戸時代前期に成立した和歌用語辞典﹃和歌呉竹集﹄には﹁うるまのしま国 又うるまの国ともいふ琉球国の事也﹂と明記されている。17世紀末に琉球の識名盛命︵唐名は毛起龍︶が和文体の紀行文﹃思出草﹄に琉球の別称として記したことから、琉球人の間でも知られるようになったが、一般への定着はならなかった。
20世紀に入り、大正時代以降に本土の文人が沖縄の美称として﹁うるま﹂と呼ぶようになったことから、沖縄県民の間にも広がるようになる。
戦後は煙草の銘柄としてうるまが販売され、逆に本土でも沖縄の雅称として有名となり、県民の間にも名称が定着して、ついには地方自治体としてうるま市が誕生する次第となった。
近年は﹁うるま﹂の語源は沖縄方言で﹁珊瑚の島﹂︵﹁ウル︵珊瑚︶﹂﹁マ︵島︶﹂︶とされるが、民間語源に過ぎない。そもそも沖縄方言での﹁ウル﹂は珊瑚よりも粗砂を意味する場合が多く、﹁マ﹂だけで島を意味するのかも沖縄方言の用法として根拠が弱い。
沖縄の歴史と文化の独自性を表す言葉として多用されているが、結果として本土の文化との強いつながりを示すこととなった。
参考文献
●﹃沖縄大百科事典﹄ 沖縄タイムス、1983年
●﹃大辞泉﹄ 小学館、1998年
●大野晋、丸谷才一﹃日本語で一番大事なもの﹄ 中央公論社、1990年
外部リンク
●レファレンス共同データベース﹁沖縄のことを古語でうるま島︵うるわしき島︶と呼んでいた時代があるが、それについての文献が知りたい。﹂
●沖縄県うるま市﹁うるまの名称選定理由について﹂
●大城将保の︻おきなわ百話︼﹁沖縄の呼び名﹂